旬のお魚かわら版
No.77 スルメイカ
2023.11.16旬のお魚かわら版 No.77(2023年11月15日)
今回は時期的に漁の最終盤に入った「スルメイカ」です。
かつては魚介類の中で最も家庭内消費(購入量)が多く、生活にも密着していたのですが、後で述べるように近年は漁獲そのものが極端に少なくなり食卓からは縁遠い魚になりました。
分類学的には、ツツイカ目アカイカ科に属していて、アカイカ(ムラサキイカ)も近い仲間です。寿命は1年、産卵を済ますとその短い一生を終えてしまいます。スルメイカは日本の沿岸域(東シナ海、日本海西部、九州・四国沖合)で産卵・発生し、秋生まれ群(九州沿岸から日本海沖を対馬暖流に乗って回遊し、最も大きくなる群れ)と冬生まれ群(主に黒潮に乗って太平洋沿岸を北上し、北海道沖合に達し羅臼沿岸で時に大漁になることも)に大別されます。
イカ類は、主に釣り漁法(自動イカ釣り機など)で漁獲されます。スルメイカも当然そうなのですが、 釣り以外の漁法でも漁獲されています。下のグラフは直近と10年ごとの漁業種類別漁獲割合を表したものです。
このグラフで顕著に表されているのは、底曳網での漁獲量の割合がこの20年間で大きく増加していることと、釣りの割合が減少していることです。定置網は大きな変化はなく、まき網は変動幅が大きいことも分ります。底曳網の増加は、近年の海の温暖化で、かつては夜になると海面に浮上していたスルメイカがじっと深い場所に留まり続け、釣りの漁獲対象になりづらくなった結果であるのかもしれません。近年は漁獲量が激減しているので、釣りと底曳きの漁獲量の絶対量の差が非常に接近し、2022年 は約1万トンの差です。因みに2012年は7.5万トン、2002年は約18万トンでした。
上のグラフはスルメイカ漁獲量の長期推移(1956~2022年)です。1960年代は漁獲の浮き沈みが激しいものの、漁獲のピーク(1968年:668,364トン)はこの時代に みられます。その後減少期に入り1980年代半ばまで続き、その後10年程度上昇が続きました。しかし2000年に入って以降は若干の増減はみられましたが、基本的には漸減傾向が続いています。
1996年に40万トンを超え、2000年に30万トンを超えて以降20年以上30万トンを超えることはなく、逆に一層減少しており、特に近年に入ってからは3万トン前後に止まっています。今年はそれを更に下回りそうな気配で、このまま漁の大獲りがなければ2万トンにも達しない可能性もあります。
上の図は「生鮮魚介類の1人1年当たり購入量及びその上位品目の購入量の変化」です。
皆さんよくご存じの魚が並んでいます。平成20年以前の生鮮魚介類といえばイカ類(主にスルメイカ)が購入量トップの常連でした。その後、輸入もの・養殖もの主体のサケ類にその座を譲っていますが、昭和年代から平成の半ばまでは揺るぎないものがあり、イカ類は消費者からの認知度の高さ、そして加工原料としても幅広く利用 されていて、極めて生活に密着していた魚介類の一つでもありました。
しかし、上のグラフのとおり漁獲量が極端に落ちている現在ではそのポジションも揺らいでいて、特に加工品や惣菜の原料ではアメリカオオアカイカを始めとした輸入イカ類に依拠した供給に変わっています。
スルメイカは生涯で1度しか産卵しませんが、産卵数が膨大(数万個から20万個)であるため、産卵時の海況や産卵後の稚仔の生育条件が良ければ、また復活ということもあるかもしれません。また産地ではスルメイカに替わってヤリイカも多くなっています。比較的安定しているヤリイカを狙うのも良いかも、です。
今ほど漁が低調でなかった昭和年代に遡りますが、境港出張の折、島根半島に面した美保関に泊まったことがあります。当地には「えびす様」を祀る美保神社があり、商売繁盛のほか漁業や海運の神としての信仰を集めてきた由緒と歴史を感じさせる地域です。宿泊した宿も2階建の純和風旅館で東映の時代劇に出てくるような造りで部屋も20畳くらいあるような 大きな部屋でした。夕飯にはもちろんスルメイカもお膳に並びましたが、その量も1回では食べきれないほど多く、丼ぶり一杯は優にありました。残りは翌朝に出してもらい完食しましたが今思えば何と贅沢な御馳走だったのかと、感慨深いものがあります。
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