牡蠣のイラスト

牡蠣

かき

2022年2月1日 掲載

オイスター全滅のピンチを救った
環境適応力に優れた日本の牡蠣。

世界中の人々に愛されている牡蠣ですが、なかでもフランス人の牡蠣愛は突出しています。


フランスの外食産業が花開いたのは、王侯貴族に召抱えられていた料理人たちがフランス革命で職を失い、独立して市中に店を構えた19世紀初頭です。


その頃のパリの街で、文豪バルザック(1799〜1850)は144個の牡蠣をペロリとたいらげ、友人のアレクサンドル・デュマ(1802〜1870)は、牡蠣にはレモンをかけずに食べろと書き残し、印象派の父マネ(1832〜1883)はみずみずしい牡蠣の静物画を描きました。


彼らが食べていた牡蠣は、おそらくヨーロッパヒラガキ(ブロン。殻が円形)でしょう。


フランスで牡蠣養殖が始まったのは1860年代ですが、沿岸の埋立てや排水による環境悪化などが原因で、1950年代の10万トンをピークに牡蠣の生産量は減少を続けました。


追い討ちをかけるように1960年代末(スクリーンでカトリーヌ・ドヌーヴやアラン・ドロンが世界を魅了している頃)、ウイルス性の病気が大発生し、フランスの牡蠣は全滅寸前になったのです。


この危機を救ったのが日本のマガキでした。研究の結果、マガキにウイルス耐性があることが分かったのです。


日本産という外来種を導入するにはリスクも伴いましたが、No oyster no life。ノンノン。Pas d’huître pas de vie。牡蠣のない人生なんて考えられないのがフランス人。1970年~73年にかけて、主に宮城県からマガキの稚貝を約1万トン移植しました。


こうしてフランスの牡蠣養殖は回復し、90年代には生産量は15万トンに達しました。現在ではフランス産の90%以上が日本由来種といわれています。


それから約40年後の2011年3月。未曾有の大地震と津波が三陸沿岸を襲い、牡蠣養殖も甚大な被害を受けました。家も漁具も流され途方に暮れている漁業者に、昔、助けていただいた恩返し、とフランスの牡蠣生産者をはじめルイ・ヴィトンなど様々な団体から復興支援金や養殖再開のための物資が贈られたニュースはみなさんの記憶にもあると思います。


実はこれまで日本の牡蠣が救ったのは、フランスだけではありません。


かつてアメリカでは主にバージニアカキ(アメリカガキ。大西洋沿岸に生息)、オリンピアガキ(太平洋沿岸に生息。小粒サイズ)を食べていました。ところが19世紀末、人口増に伴う乱獲、環境悪化、病気などが原因で、収穫量が激減したのです。


この窮地を救ったのも日本のマガキでした。なかでも宮城県から送られたマガキの稚貝は環境適応力が高く、南はカリフォルニアから北はカナダという異なる生息環境でも元気に繁殖しました。このためアメリカでは「Miyagi Oyster」がマガキの代名詞になっているほどです。


日本からの種牡蠣(牡蠣の稚貝)の輸入は継続して行われ、第二次世界大戦中は途絶えたものの、戦争が終わるとGHQは対米輸出の再開を命じました。


しかし、戦争による打撃で宮城は人手も資材も足りず、広島も原爆で壊滅的な状態でしたから、十分な種牡蠣の数を揃えることができません。


このとき注目されたのが熊本、八代海のシカメガキです。小ぶりなこの牡蠣は、大きなサイズを好む日本ではあまり人気がありませんでした。


一方、アメリカでは殻からチュルッとひと口で食べられる小粒なほうが好まれます。シカメガキは大好評で、これをアメリカの生産者が改良したのが「Kumamoto Oyster」です。


やがてアメリカの牡蠣が復活するとともに輸出は減り、生産者も牡蠣から海苔養殖に移行しましたから、私たちにとって有明海・八代海といえば海苔。牡蠣というイメージは希薄かもしれません。


しかし、身近なところに有明海の牡蠣はあります。


1919年の春、有明海沿いの堤防で漁師が牡蠣の煮汁を捨てているのを見た青年は、この煮汁を煮つめたグリコーゲンたっぷりの牡蠣エキスを使って健康食品をつくるアイデアを思いつきました。青年の名は江崎利一。生まれたのが「ひとつぶ300メートル」のキャッチコピーでお馴染み、グリコのキャラメルです。


さて、今では当たり前のように生牡蠣を食べていますが、日本では焼きガキ、蒸しガキ、カキフライ、土手鍋、かき飯……など、加熱調理して食べるのが定番でした。


東京の五反田にオイスターバーが登場したのが1999年。空前のワインブームも重なって、このころから一気に殻付きの生牡蠣を食べる文化が浸透したと思われます。ニュージーランドのカイパラ、タスマニアのミルキーウェイ……。オイスターバーに並べられた世界の牡蠣の名前を見て「米国産のクマモト?」と不思議に思った人も多かったでしょう。


オイスターバーでKumamoto Oysterを目にするようになったとき、本家の八代海ではシカメガキは生産されておらず、それどころか絶滅したとさえ考えられていました。


2005年、熊本で「クマモト・オイスター復活プロジェクト」が始まりました。県水産研究センターが県内を調査し、絶滅したと思われていたシカメガキを再発見。研究を重ねて稚貝の生産に成功すると、2010年に県内生産者による養殖試験が始まり、翌年、半世紀ぶりに出荷することに成功しました。


フランスやアメリカの牡蠣の危機を救った日本のマガキですが、逆に病気に強く、環境適応力の高いマガキだけしか生き残れない海……と考えると「日本のマガキ最強」と喜んでばかりもいられません。


近年では東京湾、大阪湾でも生食用殻つき牡蠣の生産に取り組んでいます。ご当地牡蠣を味わいながら、育った海の環境、ワインの世界でよく語られる「テロワール」に思いを馳せてみてはいかがでしょう。


*参考文献
『フランスを救った日本の牡蠣』(山本紀久雄/小学館スクウェア)
『牡蠣とトランク』(畠山重篤/ワック)
『牡蠣の歴史』(キャロライン・ティリー/原書房)