帆立のイラスト

帆立

ほたて

2021年12月1日 掲載

石油元売り業界の再編で消える
ホタテマークのガソリンスタンド。

地球規模の気候変動問題の解決のため、化石燃料から再生可能エネルギーへとエネルギーシフトが世界的に求められるようになり、今後、需要の大幅な減少が予想されることから、石油元売り各社は生き残りを賭け「総合エネルギー企業」に脱皮しようと必死です。


日本石油、三菱石油、ゼネラル石油、モービル石油……。かつて20社近くが割拠していた石油元売り会社は再編に再編を重ね、現在はENEOS、出光、コスモの3社でほぼ寡占という状態になりました。メガバンクと同じですね。


2019年に出光興産と昭和シェル石油が経営統合されたため、黄色いホタテの貝殻マークの看板を掲げたシェルのサービスステーションが日本から姿を消しつつあります。


今月のテーマはホタテ。シェルのシンボルマークのお話です。


今から150年前。廃藩置県などでまだ日本が大きく揺れている明治4年(1871)、1人の若者が横浜港に降り立ちました。ロンドンの雑貨商の息子、マーカス・サミュエル18歳。のちのシェルの創業者です。


なけなしの資金を元手に、マーカスはエキゾチックな民具や雑貨を買いつけてはロンドンに送りました。4年前に開かれたパリ万博はヨーロッパに熱狂的なジャポニスム・ブームをもたらしていましたから、その勢いにのったのかもしれません。


なかでもよく売れたのが、日本で見つけた珍しい貝、貝殻で作ったボタンや貝殻細工箱などの装飾品でした。


順調に商売を広げたマーカスは明治9年(1876)、横浜にサミュエル商会を設立。アジアの物品を扱う貿易で巨財を築くと、当時最先端のエネルギー、石油の輸送に乗り出します。


開通してまもないスエズ運河は、危険すぎると当時主流だった帆走タンカーの通航を許可していませんでしたが、マーカスは粘り強く交渉し、通航可能なタンカー船の仕様を聞き出し、最先端の蒸気船のタンカーを建造します。


幸運をもたらしたラッキーアイテムの貝にあやかったのでしょうか、マーカスは蒸気船タンカー3隻に「Murex」(ホネガイ)、「Conch」(ホラガイ)、「Clam」(ハマグリ)と名付けました。


このタンカー船団は1892年、ロシアで採掘した石油をスエズ運河経由で極東へ運ぶことに成功。アジアの石油市場を独占していたロックフェラー率いる巨大企業、スタンダード・オイルの牙城を崩したのです。


さらにマーカスはボルネオの油田開発にも成功すると、1897年に会社名に貝を冠した「シェル運輸交易会社」を設立します。1907年にはオランダの「ロイヤル・ダッチ社」と事業提携。現在の「ロイヤル・ダッチ・シェル」の誕生です。


シェルといえばホタテのシンボルマークが有名ですが、1900年につくられた初代のマークはムール貝がモチーフでした。ホタテに変わったのは1904年からです。


貝殻のウネの数や太さからするとモチーフになったのはヨーロッパホタテガイ。ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』にも描かれているように、ヨーロッパホタテガイは昔から多産の象徴ですから、おそらく会社が繁栄しますようにとの願いを込めて採用したのでしょう。


ヨーロッパ最大のエネルギーグループの原点が、夢を抱き、遠い、しかも激動期の日本にやってきた青年と貝との出会いにあったというのは面白いですね。