今月の魚アーカイブ

鱸 すずき

2022.08.1
鱸 画像

その時、歴史は動いた。「武将の舟に
飛び込んできた魚」で振り返る日本史。

《祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》


平清盛(1118〜1181)を中心とする平家一門の興亡を描いた『平家物語』の有名な冒頭ですが、これに続いて登場するのが夏に旬を迎える魚、「スズキ」です。


清盛がまだ安芸守だったときのこと。海路で伊勢から熊野に詣でる途中、大きなスズキが飛び込んできました。案内役の修験者が「昔、周の武王の舟にも魚が飛び込んできました。これは熊野権現のご利益に違いありませんぞ」と言い、それは吉兆なことだと、みんなで食べたといいます。


このあと、清盛はトントン拍子に太政大臣まで上り詰めましたから、まさに平氏のラッキーアイテムはスズキという感じでしょうか。


武王の舟に魚が飛び込んできたというのは、〈紀元前1000年ごろの中国で、暴君で名を馳せた殷の紂王を倒そうと武王が出撃すると、白い魚が飛び込んできた。武王はこれを殷が降伏する予兆として祝い、見事、殷を倒して周を起こし、名君として名を残した〉という『史記』に書かれた故事「白魚入舟」に由来するものです。ちなみにこの「白魚」は、最大1mにもなる日本にはいないコイの仲間のようです。


栄華を誇った清盛ですが、独裁は公家、寺社、武士の反発を招き、打倒平氏勢力を生み出します。鎌倉で挙兵したのが源頼朝(1147〜1199)でした。1180年、頼朝は伊豆目代の山木兼隆を討ち取りましたが、続く石橋山の戦いで大敗すると、真鶴から舟で房総半島へ逃げます。


この遁走する頼朝の舟にも魚が飛び込んだという言い伝えが鎌倉に残っています。


〈頼朝は「これは縁起がよい。今は逃げるが、次は勝つ。以後この魚をカツオと呼ぼう」と硯の墨に指をつけて魚の体に平行線を引くと、海に逃がした。以来、カツオの腹には黒い縞がつき、カツオは源氏の守り神になった〉(『伊勢吉漁師聞書―鎌倉市腰越の民俗』)


源平の旗印は源氏が白旗で、平家が赤旗です。清盛の舟に白身魚のスズキ、頼朝の舟には赤身魚のカツオと、互いに逆の色の魚が飛び込んでいるのは面白いですね。宿敵を平らげるというメタファーなのかもしれません。


平家を滅ぼした頼朝は、鎌倉に幕府を開府(1185年?諸説あり)しました。江戸幕府が終わるまで、約700年続く武家政治の始まりです。


1333年、鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇を中心とする足利尊氏、新田義貞、楠木正成らの連合軍。なかでも、天然の要塞で不落といわれた鎌倉を攻め、北条得宗家を滅ぼしたのが新田義貞(1301〜1338)でした。


『太平記』によると、新田義貞の舟にも魚が飛び込んでいます。


鎌倉幕府を倒したものの、連合軍は分裂。足利尊氏と後醍醐天皇との間で争いが発生すると、義貞は後醍醐天皇側の総大将として豊島河原の合戦(1336)に大勝。尊氏は九州へ落ち延びました。


しかし、数ヶ月後、勢力を盛り返した尊氏に湊川の合戦で敗北した義貞は、この戦いで軍事の天才・楠木正成を失い、さらには後醍醐天皇の裏切りにもあい、絶体絶命の大ピンチに陥ります。


義貞は天皇の息子の恒良(つねよし)親王、尊良(たかよし)親王を奉じ、越後を拠点に戦うべく、北陸の金ヶ崎城(現・福井県敦賀市) へ赴きましたが、足利軍に包囲されてしまいます。


戦いは一進一退の膠着状態。魚が飛び込んできたのは、雪見と称して敦賀湾に舟を浮かべ、各々楽器を持ち寄り、セッションしている最中のことでした(両親王は琵琶、義貞は横笛、洞院実世は琴、義貞の弟・義助は箏の笛)


何という魚かは定かではありませんが、やはり史記の故事を例にこれを喜びます。しかし、戦いは好転することなく義貞は敗れましたから、魚は吉兆のサインではなかったようです。


『史記』が当時の知識人の教養だったとすると、ほかにも魚が飛び込んだ記述があるかも?と思い調べてみると、『応仁記』にありました。応仁の乱の主役の一人、足利義視(1439〜1491)のところにも飛び込んでいます。


応仁の乱(1467〜1477)をざっくりいうと、跡継ぎがなかなかできなかった8代将軍足利義政は、出家していた腹違いの弟・義視を還俗させて後継者にしました。ところが、義政の妻・日野富子に男子(義尚)が生まれたことで、ややこしくなります。


富子は我が子を将軍にと山名宗全に後ろ盾を依頼し、義視も山名のライバル細川勝元に助けを求めます。優柔不断な義政の態度に加え、有力大名の権力争いもあって対立は激化。幕府と大名は東軍、西軍に分裂して10年以上も争い、京の都は焼け野原となりました。


『応仁記』によると、足利義視が伊勢に向かおうと、琵琶湖西岸から舟で東岸に渡る途中、飛び込んできたのは清盛と同じく大きなスズキで、ここでも、これは吉兆と酒盛りになったそうです。


琵琶湖にスズキ?と疑問に思われるかもしれませんが、スズキは浸透圧調整能力が高い魚で、アユなどを狙って河川にも入り込むことが知られています。おそらく明治時代に瀬田川(淀川に続く)に堰ができるまでは、大阪湾のスズキが琵琶湖まで遡上することもあったのでしょう。


結局、義尚が9代将軍、義視の息子の義稙(よしたね) が10代将軍になりましたから吉兆のサインといえなくもありませんが、応仁の乱後も明応の政変などゴタゴタが続き、幕府・将軍の権威は完全に失墜していくので微妙です。


こうして世は下克上、戦国時代へと突入していきます。


以上、政権交代の激動期に飛び込んできた魚の逸話を集めてみましたが、結構、飛び込んでいるものですね。


スズキは成長するにしたがいヒカリゴ(5cm前後)→コッパ(10cm前後)→セイゴ(25cm前後)→フッコ(30〜40cm)→スズキ(60cm)と名前を変える出世魚の代表的存在です。


ただ、こうして歴史を振り返ると、出世するもしないも夢、勝つも負けるも幻。《猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ》だなあ……としみじみと感じるのであります。


*参考資料
『魚々食紀』(川那部浩哉/平凡社新書)
『文学とすし』(大柴晏清/栄光出版社)

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