若布のイラスト

若布

わかめ

2021年3月1日 掲載

東日本大震災から10年。
三陸の漁民を救ったワカメ。

生ワカメを熱湯にくぐらすと、褐色からさっと鮮やかなグリーンに変わります。これには子どもたちも大喜び。生ワカメのしゃぶしゃぶは、見た目にも楽しいエンターテインメント鍋。このシーズン、ぜひ家族で味わって欲しいものです。


さて、このワカメ、95%くらいは養殖ものですが、「養殖」と書かれたワカメは見かけませんね。


これは、JAS法で「養殖」は、出荷するまでにエサを与えた水産物と規定されているからで、エサを与えないワカメは「養殖」表記の必要がないのです。


近年のワカメ養殖では岩手県と宮城県が生産量日本一の座を争っています。「三陸わかめ」がワン・ツーで、3位が徳島県の「鳴門わかめ」。国産ワカメの約8割がこの3県で生産されています。


天然のワカメ(コンブも)は外海の岩や礫の海底に生育するので、湾内で生育するのはわずかです。戦前、漁民は岩場を掃除したり、新しい石を沈めたりして増産に努めましたが、うまくいきませんでした。


ワカメやコンブの種を採苗し、筏(いかだ)を使って効率的に生産するという養殖方法を確立したのが海藻養殖の父・大槻洋四郎(1901〜1981年)です。


この養殖法により、海藻の生産作業は簡単かつ安全となり、収穫量も増え、しかも良質な製品を生産できるようになりました。私たちがワカメやコンブを日常的に食せるようになったのは彼のおかげといってもいいでしょう。


明治34年、宮城県に生まれた洋四郎は、北海道帝国大学で学び、昭和4年から中国・関東州庁水産試験場に勤務しました。そこで沿岸の生物調査をしていると、本来、中国には生育していないはずのコンブが、大連沖の孤島の一部に生息していることを発見します。


これは日本の貨物船が北海道から運んできた木材にコンブの種苗が付着していて、それが繁殖したものと思われますが、これを見た洋四郎は、養殖が可能なのではないかと考え、函館からマコンブ、ワカメを済州島から入手して研究を進め、世界で初めて養殖法を確立させました。


しかし、時は激動の時代。中国で暮らす洋四郎を取り巻く環境は激変します。


昭和20年、日本降伏。中国大陸は国民党軍、共産党軍、ソ連軍が入り乱れ、洋四郎は難を逃れるために中国各地を転々とします。しかし、ついに山東省の寒村で病を患い、倒れ、重篤な状態に陥りました。


洋四郎、危うし!


一方そのころ、覇権を掌握した共産党政府は、海藻養殖の研究を進めようと、実績のある洋四郎のゆくえを追っていました。この探索のおかげで、瀕死の状態で発見された洋四郎は、寒村から50キロほど離れた病院へと運ばれ、運よく一命をとりとめます。


なぜ共産党政府が海藻養殖に力を入れていたかというと、コンブやワカメなどに含まれているヨウ素(ヨード)不足が引き起こす病気に、中国は昔から悩まされていたからです。


ヨウ素が不足すると甲状腺の機能が低下し、肌荒れ、冷え性、肥満、精神機能障害などさまざまな症状を引き起こします。妊婦の場合、流産と死産のリスクが増し、胎児の成長が遅れ、脳の発達に異常が現れることもあります。


このため中国は大昔から薬として海藻(主にコンブ)を日本から輸入していました。


回復した洋四郎は中国人技術者の指導・育成に努め、その結果、現在では中国のほとんどの沿岸で海藻養殖が行われるまでになりました。洋四郎がまいた種は大きく育ったのです。


昭和28年、中国人技術者の育成に目途が立った洋四郎は、24年間の中国生活を終え帰国します。このとき洋四郎51歳。


帰国後は、宮城県登米に居を構え、同県女川においてワカメの養殖法と塩蔵法の改良に取り組み、チリ地震津波で被害に遭うなど苦労を重ねながらも、日本各地の漁村を巡り歩いてはワカメ養殖の技術を指導し、その普及に努めました。


昭和56年3月、洋四郎、永眠。海藻養殖に一生を捧げた人生でした。


洋四郎は「自分は金儲けが本意ではない。より多くの漁民が養殖によって豊かになれば、自分の使命目的は達成される」と周囲に話していたといわれています。


洋四郎が亡くなってから、ちょうど30年後の平成23年3月11日。東日本を大地震が襲います。多くの人が亡くなり、三陸の漁師は壊滅的な被害を受けました。


津波ですべてが失われ、呆然とする日々。そんななか、材料も人手もかけずに取り組むことができ、しかも成長が早く、まとまって収穫できるワカメの養殖は、生きる希望を失っていた漁師のやりがいとなり、その収入は再起の大きな助けとなったそうです。


大槻洋四郎の技術は、ここでも多くの人を救ったのです。


震災から10年。あのとき、みなさんは、どこでなにをしていましたか? 春の風物詩、生ワカメを味わいながら、思い出してみませんか。