Web版 解説ノート

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2020年12月4日(金)更新

東京湾の魚はなぜうまい

2020年12月4日(金)更新

複雑な地形が生んだ天然のいけす

東京湾の面積は1,380km2。これは東京23区2つぶんくらいの広さです。東京湾は富津岬と対岸の観音崎で巾着のようにくびれた形状をしていて、一番狭いところの幅は6kmしかありません。一般にこの狭まった部分の北側を内湾、南側を外湾と呼びます。

東京湾の地形は実に変化に富んでいます。内湾は平均水深15mと浅く、外湾は湾の入口に向けて徐々に深くなり、観音崎沖では水深50mですが、湾口は一気に深くなり、水深600mに達する東京海底谷が横たわっています。

つまり、海抜0mの干潟にすむトビハゼから、深海にすむ世界でも珍しいミツクリザメや生きた化石と呼ばれるラブカまでが東京湾というひとつの海域に生きているのです。沖には黒潮が流れているために、ときには世界最大の魚、ジンベエザメがやってくることもあります。

世界でも指折りの大都会・東京の前に広がる海は、ことほど左様に多様性をもった自然豊かな海なのです。しかも、湾内は外洋に比べて穏やかですので、魚の産卵や稚魚の生育場所にも恵まれた環境です。実際、東京湾には約700種類の魚がいるともいわれています。

東京湾の魚の写真

なぜ東京湾の魚は美味しいのか?

「江戸前」と呼ばれる湾奥で獲れる魚は、昔から美味しいと評判でした。なぜ、東京湾の魚は美味しいのでしょうか。

東京湾には60本以上の川が流れ込んでいます。江戸時代、流域には大勢の人が住み、田畑で作物を育てていました。集落から流れ出る生活排水や農業排水は川を経て海に流れ込みます。すると排水に豊富に含まれている栄養を摂取して植物プランクトンが大量に繁殖します。植物プランクトンが増えると、これを食べる動物プランクトンも大発生します。動物プランクトンが増えると、これをエサとする小魚はお腹いっぱい食べてたっぷり栄養をとることができます。そして肥えた小魚を大きな魚が食べて太るという連鎖が続きます。

つまり、東京湾は巨大な天然の「養殖場」のようなもので、栄養満点の海で育った魚の身にはしっかり脂がのりやすいのです。

東京湾の代表的な海の幸をいくつか紹介しましょう。

江戸前を代表する魚介類

アナゴの写真

アナゴ
東京都の羽田、神奈川県の小柴、千葉県の富津がアナゴの産地として有名です。ウナギとよく似ていますが、ウナギは上あごよりも下あごが前、しゃくれているのに対し、アナゴは上あごが前に出ています。また、アナゴの体側には白い斑点が並んでいます。これが昔使われていた棒状の天秤計りの目盛に似ているので、富津あたりでは「秤の目=はかりめ」と呼ばれています。

コノシロの写真

コノシロ
江戸前寿司の伝統的なネタのひとつで、全国漁獲量の1割が東京湾産です。大きさによって呼び名が異なる出世魚で、東京ではシンコ→コハダ→ナガツミ→コノシロと名前が変化します。寿司のネタとして重宝されるのは初夏にとれるシンコ、コハダです。晩秋から冬にとれるコノシロは寿司には向きませんが、脂がのっていて、塩焼きにすると美味です。

マアジの写真

マアジ
おなじみのアジでも、東京湾の「金アジ」の美味しさは別格です。アジは基本的に回遊性の魚ですが、金アジは回遊せずに沿岸部の同じ場所で生きる、いわゆる「瀬付き」と呼ばれるものです。速い潮に揉まれながら、豊富なプランクトンを食べて育つために肉質がしまっていて、しかも脂ののりがよいのです。刺身にしてよし、塩焼き、アジフライにしても絶品です。

スズキの写真

スズキ
現在の東京湾を代表する魚と言ってもいいのではないでしょうか。千葉県の船橋漁港がスズキの水揚げ量日本一を誇っています。出世魚で東京ではセイゴ→フッコ→スズキと名前が変わります。成長すると80cmを超えるほどになるので、ルアー釣りの対象魚「シーバス」としても人気です。

シャコの写真

シャコ
東京湾のシャコといえば神奈川県の柴漁港「小柴のシャコ」が有名です。砂泥底に生息し、強靭な捕脚を用いて、カニの甲羅や貝の殻を叩き割って食べているのですから、美味しくて当たり前かもしれません。しかし、近年では漁獲量が減少し、なかなか味わえない貴重な存在となってしまいました。

少なくなってしまった底魚

漁場としてのイメージのない東京湾ですが、近年でも、スズキを筆頭に、イワシ、アジ、サバ、タチウオ、コノシロなどプランクトンや小魚をエサにする、いわゆる「浮き魚」は比較的安定した漁獲を維持しています。ところが、かつての江戸前の釣りものの代表格だったカレイ類、アイナメ、マハゼ、アナゴ、シャコ、ガザミなど、主に海底にいる「底魚」たちの資源は低迷しています。

なぜ低迷してしまったのでしょうか。

その前に、もうひとつ。東京湾の海の幸で忘れてはいけないのが「海苔」です。日本人は大昔から海苔を食べていましたが、現在のような、生の海苔を刻み薄く広げて干してつくる板状の「乾海苔」が登場したのは、今から300年前ごろ。浅草和紙の製法をヒントに江戸の町で誕生しました。当時の主な産地は浦安、羽田、大森、品川などでした。

江戸が東京と名前を改めても、東京湾は全国屈指の海苔の生産地で、昭和3年には全国の5割以上の生産高を誇り、昭和14年までずっと全国1位でした。

昭和3年(1928年)の海苔の全国生産量のグラフ

ところが戦後、高度成長期を迎えると多くの海苔の産地が姿を消してしまいました。今でも千葉県の木更津市、富津市、船橋市、市川市、対岸の神奈川県横須賀市などでノリの養殖は行われていますが、かつての面影はありません。現在、海苔の生産量は有明海がほぼ6割を占め、瀬戸内海、伊勢湾、松島湾がそれに続いています。

同じように戦後、大きく数が減ってしまったのが貝類です。アサリ、ハマグリ、アカガイ、バカガイ、タイラギ……かつて東京湾は貝類の名産地でした。高度成長期に東京湾の環境が悪化し、魚が獲れなくなってしまったというのはよく知られていますが、その内訳を見ると、激減したのは魚というよりも、むしろ貝類なのです。

貝類のグラフ

東京湾の海の幸はなぜ減ってしまったのでしょうか。次回は、東京湾の環境の変化の歴史と、私たちが知っておきたい問題について考えてみましょう。

東京湾の逆襲!

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度重なるダメージにさらされながらも不死鳥のごとく復活するたくましさ。大都会・東京の目の前に広がる海は実に魅力的なミラクルワールドなのです。東京湾のこと、ご存知ですか?

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