Web版 解説ノート
2023年9月20日(水)更新
気仙沼は日本一のサメの街
2023年9月20日(水)更新
なぜ気仙沼はサメの街なのか?
宮城県の最北端、岩手県との境に位置する気仙沼市。沖合には世界三大漁場の一つ「三陸沖」が広がり、豊かな海の幸がもたらされる港街。リアス式海岸の深い入り江には、漁港とともに造船所、水産加工場、冷蔵施設、製氷施設などが並ぶ水産基地です。
気仙沼港といえば、誰もが思い出すのが、カツオでしょう。生鮮カツオの水揚げでは長年にわたり連続日本一に輝いています。また、気仙沼港はサンマでも有名です。
一年を通して、さまざまな魚が水揚げされる気仙沼ですが、実はサメの水揚げ量も日本一。全国で流通するサメの大半が気仙沼で水揚げされています。
気仙沼に水揚げされるサメで圧倒的に多いのはヨシキリザメ(吉切鮫)で約80%。次にここではモウカザメ(毛鹿鮫)と呼ばれるネズミザメが約15%。ほかにカツザメ(勝鮫)とよばれるアオザメや、ハチワレ、ニタリなどオナガザメの仲間が捕獲されます。
なぜ気仙沼にたくさんのサメが水揚げされるのでしょうか。それは、マグロやメカジキを狙うマグロはえ縄漁が盛んで、生息域が似ていて同じエサを食べるサメも同時に漁獲されるからです。気仙沼はメカジキの水揚げ量も日本一で、全国に流通している生鮮メカジキの72%が気仙沼産です。
はえ縄漁は、幹縄(みきなわ)と呼ばれる浮きの付いた長いロープに、枝縄(えだなわ)と呼ばれる短いロープを一定の間隔で繫なぎ、それぞれの枝縄の先にある釣針にサバなどのエサを付け、海中に垂らしてマグロやカジキが食いつくのを待つ漁法です。
気仙沼では100〜120㎞の幹縄に、3000〜4000個の釣針をつけるのが一般的だそうです。箱根駅伝の片道が約110㎞ですから、それと同じ長さのロープというから驚きです。
気仙沼港を出港し、漁場に到着するまで4〜7日。漁場に着いたら、チームを組んで(乗組員は7〜16名)、交代で約4〜6時間かけて投縄。待つこと約5時間、ようやく引揚げ作業がはじまります。この揚縄作業は休憩をはさみながら約10〜12時間を要します。
約4000個の釣針がついていますが、400匹も釣れれば大漁なのだとか。かかった魚は右舷側にある「舷門」から人力で引き上げ、素早く内臓を処理し、氷詰めしてから低温の魚艙に保管します。
出港すると、航海日数は15〜45日間くらい。短期間でたくさん獲れれば、早く帰れるのです。メカジキの水揚げのピークは10月〜3月。5〜7月になるとヨシキリザメが多く掛かるようになります。
サメがずらりと横たわる勇壮な気仙沼魚市場
戻ってきた船は、入札が始まる朝の7時に間に合うように、水揚げが多い場合は夜中から荷揚げの準備作業を始めます。ベルトコンベアやクレーンで水揚げされた魚は、市場の人が種類ごとに選別して並べます。
モウカザメは頭、内臓を処理せずに丸のまま水揚げされます。目を見開き、歯をむき出した2m近くあるモウカザメが市場にずらりと並ぶ光景は迫力満点です。
一方、ヨシキリザメは船上で頭と内臓が処理されているので、パッと見ではサメだとわかりません。モウカザメと比べると青く柔らかく細い魚体です。漁協職員が鮮度や大きさごとに分け、20〜30匹をひと山(約800㎏)として積み上げます。この日並んだヨシキリザメは25トン。これまた壮観です。
並んだサメを念入りにチェックしているのは仲買人です。気仙沼の買い付けは「競り」ではなく、あらかじめ購入希望額を書いて申告し、最も高く値段を付けた人が買う「入札」方式。メカジキやモウカザメは1本単位、ヨシキリザメはひと山でカウントされます。
入札方式は、他社のつけた価格を知ることがでません。欲しい商品をいかに確実に手に入れるか。市場は静かな熱気に包まれます。現在ではコンピューターで管理されていますが、入札方式であったため、コンピューター化しやすかったそうです。買い付け結果は液晶画面に表示されます。
オール気仙沼で「サメまちブランド」
買い手が決まると、フカヒレ加工業者が刃渡り30㎝ほどの「ヒレ切り包丁」で、スパッ、スパッと切り取って行きます。切り取るヒレは背びれ、尾びれ、腹びれ。ヒレは魚種&部位別にカゴに入れ、フカヒレ工場に運ばれます。
ヒレを切り取られた魚体は、すり身工場へ。サメの皮をはぎ、三枚におろしてすり身の状態にしてから冷凍し、出荷を待ちます。すり身はサメの種類ごとに分けて作られ、購入した練り物業者がそれぞれブレンドをして、主に「はんぺん」の素材として使われます。
ヒレは手作業で皮、軟骨、肉をきれいに取り除き、形が整えられます。次にじっくり時間をかけて冷風乾燥させます。乾燥したものを「スムキ」と呼びます。
「フカヒレの姿煮」はスムキを戻して調理するのですが、戻すには水に浸したり、蒸したり、1週間ほどかかるので、市場に流通しているのは、使いやすいように、乾燥したスムキを戻した製品です。
「スムキ」のヒレは加工場で慎重に蒸し、微妙な温度管理をしながら水に浸けて戻されたあと真空パックされ、出荷されます。フカヒレが完成するまでには、非常に手間と時間がかかるのです。
サメはフカヒレやすり身だけでなく、軟骨は関節炎に効くサプリメントに、皮は革製品に、と捨てるところがありません。
全国でも珍しいサメの街という特徴を活かし、地元・気仙沼を盛り上げようと2014年に、加工業者、漁師、自治体、協力企業が参加し、「サメの街気仙沼構想推進協議会」を立ち上げました。
メカジキがキロ700円くらいなのに、サメはキロ100〜200円にしかならないのが現状。サメにもっと付加価値をつけて、サメを活用した街づくりをしていこうというものです。
例えば、サメの肉を使った新しい料理の開発。実は、気仙沼ではサメがたくさん獲れるのにもかかわらず、食べる習慣はなかったのだそうです。他にも水産物が豊かなことが主な理由。
そこで、子どものころからサメ食に親しんでもらおうと、学校給食にシャークナゲットやフカヒレスープが登場します。地元の食材を使ったメニューから、歴史や産業、文化を学ぼうという試みです。
それから、現在は他県に原料として販売しているサメの皮を、なめす加工から、バッグなどの皮革製品まで、気仙沼で一貫して製造できるようにして、付加価値の高い新しい商品を開発する動きも進んでいます。サメ革は防水性が高く、水に濡れても縮まない面白い素材なのだそうです。
「気仙沼はカツオやサンマで有名ですが、どちらも季節ものですし、水揚げの大半は他県の船。地元の船で通年操業しているのは、サメ獲り船(近海はえ縄船)ですからね。ここを守らないと、街は生き残れないのです」(協議会事務局/畠山清さん)
しかし、サメで街おこしは決して楽観できない状況です。
フカヒレの最大の消費国、中国への輸出は現在、ほぼゼロ(※取材時点)。福島第一原発の事故に伴う輸入規制に加え、中国では役人の接待禁止令で需要が激減。
しかも、一部の環境保護団体からはヒレを切り取るのは残酷、サメの資源管理ができていないと、フカヒレ料理を提供するホテルへの激しい排除キャンペーンがあったりします。
「でも、逆にきちんとサメの資源管理をして、MSC認証(持続可能な漁業による水産物であることを示す国際認証)を受けることで、気仙沼のサメをブランド化するチャンスにもなると前向きに考えています」(畠山さん)
現在は、気仙沼のフカヒレ料理を出す店に、ヒレだけでなくサメ肉も使ったメニューを考えてもらう協力をあおいだり、皮を利用するので手カギなどで皮に傷つけないようにと漁師に依頼したり、観光客が訪れたときにサメの街を楽しめるコースを考えたりと大忙し。
「どこかの街と同じようなことをしてもダメ。リスクを抱えても気仙沼のオリジナルを出してやっていくしかない。それで、生まれ育った街に何か返せたらいいなと」(協議会会長/村田進さん)
「震災を経験するまで、漁師と仲買人と水産加工業者が一丸となって何かをするなんて考えられなかったですね。みんなライバルでしたから。まとまれたのは奇跡。震災からの復興は、それほど深刻だったのです」(畠山さん)
がんばれ、サメの街、気仙沼!
俺、サメだけど そんなにおっかない?
俺、サメだけど そんなにおっかない?
大きな顎に鋭い歯……凶暴で恐ろしいと思われているサメですが、ヒトとは昔からの深い付き合い。サメは魚の仲間ですが、少し変わったところがあります。サメの魅力を探ってみましょう。