目光

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めひかり


2023年9月1日 掲載


メヒカリは引っ越し大名のお供をしたか?

全国漁業協同組合連合会(全漁連)のホームページに「PRIDE FISH」というコーナーがあります。


これは「地域ごと、春夏秋冬ごとに、魚を知り尽くした漁師が選ぶ“今一番食べてほしい魚”をぜひ味わってみてください」とあるように、全国のご当地自慢の魚を紹介するページです。


ぼんやり眺めていたら、ほーっと思うことがあったので、今日はメヒカリのお話をしたいと思います。


メヒカリは水深150〜400mくらいに生息する体長10〜15cmの深海魚で、文字通り大きな目が緑色にキラキラ輝いて見えることから「メヒカリ」と呼ばれるようになったようです。


標準和名は「アオメエソ」ですが、アオメエソというと釣り餌に使う「アオイソメ」を連想してしまうのは私だけですかね。


さて、産地でしか食べられていなかったメヒカリが全国的に知られるようになったのは1990年代、愛知県蒲郡の沖合底びき網漁師が大手居酒屋チェーンにプレゼンして採用され、メヒカリの唐揚げが定番メニューになったことがきっかけだといわれています。


サラリとした脂がたっぷりのトロける白身の美味しい魚ですが、このメヒカリ、福島県と宮崎県の「PRIDE FISH」になっているんですね。


福島県ではいわき市が2001年に市の魚に制定していますし、宮崎では延岡市が水揚げ量の筆頭です。つまりメヒカリはいわき市と延岡市の「PRIDE FISH」だともいえます。


いわき市と延岡市といえば、こんな縁があります。


江戸時代に260あまり行われたお国替えのなかで、最も長距離の移動となったのが、1747年におこなわれた陸奥国の磐城平領(現在の福島県いわき市平)から日向国の延岡領(現在の宮崎県延岡市)への転封なのです。


転封または国替えとは、簡単にいえば大名の引っ越しです。


大名の引っ越しといえば、『引っ越し大名!』(2019年/監督:犬童一心)のタイトルで映画化もされた土橋章宏の小説『引っ越し大名三千里』のモデル、生涯に7度も国替えさせられた松平直矩(なおのり・1642〜1695)が有名ですね。


しかし、1回の移動距離でいえば磐城平藩6代藩主・内藤正樹(1703〜1766)が命じられた延岡への転封が最も長く、その距離は約1500km。


内藤正樹………そんな大名、知らないという人も多いと思いますが、やはり土橋章宏原作で映画化された『超高速!参勤交代』(2014年/監督:本木克英)にちょこっとだけ顔を出しています。


実は『超高速!参勤交代』の主人公・内藤政醇(まさあつ/演:佐々木蔵之介)が治めていた湯長谷藩は磐城平藩の支藩にあたるのです。


映画のラスト近く、大名行列を演じるはずのアルバイトに逃げられ、窮地に立たされた主人公たちの前に通りかかり「飢饉のときに援助してもらった礼である」と自分の行列を貸した大名こそ本藩の藩主・内藤正樹(演:甲本雅裕)です。


『超高速!参勤交代』の舞台設定は1735年ですから、その12年後に史上最長距離の転封を命じられるなんて、内藤正樹は夢にも思ってもいなかったことでしょう。


江戸時代といえば、財政的な負担となる国替え、参勤交代、土木工事などを申し付けることで、幕府は大名を統制していた……と学校で教わったと思います。


しかし、転封が盛んに行われたのは3代将軍家光(1604〜1651)の時代までで、幕府の力が盤石になるとともに、国替えで大名の力を弱める必要はなくなっていました。


《その結果、姫路のような要衝の地は別として、大名の所領は固定する傾向が顕著となる。転封の対象も親藩・譜代大名、それも数万石から多くても十万石ほどに限られていく。石高が多いほど、社会に与える影響も大きいからだ。外様大名に至っては、事実上、国替えの対象外となる》(『お殿様の人事異動』)


譜代大名の国替えの理由も、役職就任に伴うものが大半でした。


というのも、老中など幕府の要職に任命されるのは譜代大名に限られていましたから、西国など遠国に所領がある譜代大名が任命された場合、関東や中部地方に転封となるという慣例があったのです。


磐城平藩内藤家の国替えも、延岡藩牧野家の藩主・牧野貞通が京都所司代という要職についたことで常陸国笠間(現在の茨城県笠間市)に国替えとなり、笠間藩の井上家(藩主・井上正経)は磐城平へ、磐城平藩の内藤家は日向国延岡へ……という玉突きのような三方領知替えによるものでした。


ま、これには内藤家の百姓一揆への対応のまずさがペナルティとして課せられた部分もあるようですが……。


いずれにせよ国替えに際しては、領地を引き継ぐための基本台帳などの書類の作成やら城の受け渡しの作法やら、細かい決まりがたくさんあります。しかし、内藤家が磐城平を所領としたのは1622年と125年も前のこと。


誰も転封の経験がありませんから、藩はてんやわんやの大騒ぎとなりました。


しかも、はるか遠方への国替えですから莫大な経費がかかります。


このときの引っ越し費用は約2万両、およそ16億円。これは1回の参勤交代にかかる費用の10倍以上だったといいます。


小藩にそんな蓄えがあるはずもなく、内藤家では、藩の年貢米を扱っていた蔵元などから合わせて1万7000両と、引っ越し費用のほとんどを御用金として拠出させています。


費用で最もかかったのは藩の荷物の輸送料と思いきや、大半を占めていたのは藩士(約500人)への引っ越し手当でした。


藩士本人の旅費は支給されたとはいえ、家族のぶんや、家財道具の輸送費用は自分持ちでしたから、藩から支給される手当だけではとても足りず、家財道具を売り払って引っ越し費用に充てざるを得なかったようです。


ですから、延岡への引っ越しを渋り、江戸藩邸勤務を願い出る藩士が多かったのだとか。


家老の父(内藤全稀)ですら、率先して延岡に引っ越さなければならない立場であるにもかかわらず「オラは船さ乗るど船酔いして死んじまうべ」と江戸藩邸詰を願い出ています。


さすがに藩当局は、それでは藩士への示しがつかないと却下しました。


《このたびの延岡への引っ越しは戦場に向かうことと同然と心得よ。討死にすれば武士の本望ではないかと叱責し、家老の父の申し立てを退けた》(『お殿様の人事異動』)


太平の世って感じですね。


大人数での移動は宿場が混乱すると禁じられたので、藩士は1ヶ月ほどかけて、三々五々宮崎に向かっています。


陸ルートは検問の厳しい東海道ではなく中山道。長い道中、藩士が揉め事を起こさないために、内藤家では喧嘩、口論、博打、遊女遊びなどを厳禁としました。


幕府に国替えを命じられてから、城や所領の受け渡しが完了するまで約4カ月半。内藤家はなんとか無事に引っ越しを終えます。


さて、そんな縁もあって、転封の250年後の1997(平成九)年、いわき市と延岡市は兄弟都市となりました。


兄弟都市が、ともにメヒカリを「PRIDE FISH」としたのは偶然でしょうが、まるでメヒカリが磐城平から内藤公のお供をして延岡にやってきたようにもみえて面白いですね。


メヒカリは本州全域に広く分布しています。厳密には数種類いて、千葉を境に北側ではマルアオメエソ、南側ではアオメエソ、トモメヒカリが多く漁獲されるそうです。


流通上区別することはありませんが、種類が違うためでしょうか、旬は異なっていて、「PRIDE FISH」では福島では冬、宮崎では夏がメヒカリの美味しい時期となっています。


深海に生息するメヒカリは漁獲しても底びき網の中でほとんどが死んでしまうため、生きたものを手に入れることが難しいこともあり、その生態はよくわかっていません。


なんとか生きたものを入手しても、これまで飼育されたメヒカリはいずれも性成熟する前の若魚ばかりで、福島県の水族館「アクアマリンふくしま」が卵を抱いた成魚を確認できたのは2022年8月とちょうど1年前のことです。


姿がイワシに似ているので群れを成して回遊するイメージですが、水中では単独行動で、海底の砂地に胸鰭を広げて踏ん張り、頭を水流がくる方に向けてじっとエサを待ち構えている姿も確認されました。


すっかりポピュラーとなったメヒカリですが、まだまだ謎に包まれた魚なのです。


*参考文献
『お殿様の人事異動』安藤優一郎(日本経済新聞社)
『「改易・転封」の不思議と謎』山本博文(実業之日本社)
『引っ越し大名三千里』土橋章宏(角川春樹事務所)

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