法華
ほっけ
2023年4月1日 掲載
ホッケと満洲国、義経とジンギス・カン。
2022年下半期の直木賞受賞作『地図と拳』、お読みになりましたか? 満洲をめぐる殺戮の半世紀を描いたこの小説にホッケが登場するわけではないのですが、満洲から、ふと「ホッケ」を連想したので、今日はそのお話です。
今ではお馴染みのホッケですが、全国的に認知されたのは、居酒屋チェーンで「ホッケの開き」が定番となった1980年代半ばくらいでしょうか。
北海道では、戦前までニシンの卵を食べてしまう害魚という扱いでしたが、戦後の食糧難の時代に配給物資として、また、獲れなくなったニシンの代替品として広まったようです。
なぜ「ホッケ」という名前がついたのか。こんな伝説が残っています。
――昔、布教のため蝦夷地に赴いた日持上人が、親切にしてくれた地元の漁師のために法華経を読み、大漁を祈願した。すると見たことのない魚が大量に獲れるようになり、漁師たちはその魚を「法華(ホッケ)」と呼ぶようになった。
「南無妙法蓮華経」を唱える日蓮宗(法華宗)からのホッケ説ですね。
日持上人(1250〜?)は日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮(1222〜1282)の弟子のひとりですが、後半生は謎に包まれていて、蝦夷地に渡ったかどうかも定かではありません。しかし、蝦夷地からさらに樺太を経て中国大陸東北部に渡り、布教したともいわれています。
源義経にも似たような伝説があります。
義経は平泉では討たれずに蝦夷地へ逃れたとか、蝦夷地から中国大陸に渡ったという義経北行伝説。
なかでも大陸へ渡り、遊牧民を統一してモンゴル帝国初代皇帝チンギス・ハーンとなったという「義経=ジンギス・カン(成吉思汗)」説は現代でも根強い人気です。
伝えられている生没年は源義経が1159〜1189年、ジンギス・カンが1162〜1227年とほぼ同時代。2人が実は同一人物だったというのは、奇想天外ですが、なかなか魅力的なストーリーです。
日持上人や義経が大陸に渡ったという逸話が、爆発的に盛り上がったのは大正時代〜昭和初期。流れを追ってみましょう。
江戸後期、樺太の調査に赴いた間宮林蔵が、国禁を破って海を渡り黒龍江(アムール川)河口域を調査したとき(1809年)、幾つもの部族が「大昔、和人の武士がやってきて中国の王になった」と異口同音に語るのを聞き、「義経が中国で支配者になったというのは、あながち絵空事ではないのかも」と驚いています。
同時期、日本に近代医学を広めたドイツ人医師・博物学者のシーボルトも、著作『日本』で「義経=ジンギスカン説」に触れています。
明治維新を経た1879(明治12)年。のちに伊藤博文内閣で国務大臣などを務めた末松謙澄(博文の娘婿)が英国のケンブリッジ大学留学中に書いた論文が『The identity of the great conqueror Genghis Khan with the Japanese hero Yoshitsuné』(日本の英雄義経と偉大な征服者ジンギスカンの正体)。
「日本を極東の小国と侮ってはいけないよ。欧州を震え上がらせたモンゴル帝国を築いたのは、我が国の英雄、源義経公であるぞ」といった感じでしょうか。
論文は6年後、『義経復興記』として邦訳されました。
時はまさに野望渦巻く帝国主義の時代。
日本も日清戦争(1894〜95)、日露戦争(1904〜05)、日韓併合(1910)、第1次世界大戦(1914〜1918)、シベリア出兵(1918〜22)……、おびただしい血を流しながら、台湾、朝鮮半島、中国大陸東北部と急速に領土を拡張していきます。
空前の「義経=ジンギス・カン」ブームが起きたのは1924(大正13)年のこと。きっかけは小谷部全一郎が著した『成吉思汗ハ源義経也』でした。
この本は、源義経汗をモンゴルでは「チン・キ・セー・ハーン」と発音することなど、語呂合わせによる推理も多く、歴史学者、言語学者たちはこれを全面的に否定しました。しかし、現地調査をしてから批判せよと小谷部は反撃します。
小谷部はフィールドワークをするために、50歳のときにわざわざ陸軍省文官試験を受け、通訳官として東シベリアに赴任しているんですね。
そこで小谷部は、満洲族が「元」「清」と、漢民族を征服して国を興すことができたのは、満洲族のリーダーのルーツが日本武士だからであると確信しました。
のちに小谷部はラストエンペラー・愛新覚羅溥儀の写真を見て、こう断言しています。
《満洲の執政溥儀氏の容貌を見るに、色白くして顔は細長く無髯で、どこか古書に伝えられている義経公の風貌に似て居るところがある》(『義経と満洲』)
小谷部って、なんか胡散臭くね?
小谷部の自伝によれば、満洲に興味を抱いたのは、やはり『義経復興記』の影響で《アイヌの人たちの間で働くことに身を捧げ、彼らを惨めな孤立居住区から、満州かシベリアのどこかへ移して、その広大な未知の大陸に、新しい王国を作ろうと決心》して、16歳で家を飛び出し、単身北海道に渡り、アイヌと共に暮らし始めたといいますから、行動力は半端ではありません。
かなりぶっ飛んだ人生を送った人ですが、小谷部は義経とともに日持上人にも触れています。現地調査をしていたときのこと……。
《朝早く起きて外に出て見ると我が國の日蓮宗で叩く様な太鼓の音がするので、近寄って見ると、土人がそれを叩いてお経を読み、佛を念じて居る》ので、尋ねると、《昔此の土地へ三人の日本僧が来て佛教を傳え》たという。
おそらくこの僧は《日本を発足して蒙古に入り、其の消息を断った日蓮六高僧侶の一人、日持上人であらふ》……と推理しています。
小谷部だけでなく、このころ高鍋日統という僧侶や中里右吉郎という歴史家も、樺太や満洲で日持上人の痕跡を発見したと報告しています。
満洲は遠い異国などではなく、我が国ゆかりの地なのだという壮大な物語に、鬱屈した日々を送っていた人々は高揚したのではないでしょうか。
当時の日本は慢性的な不況を抱え、1920年「戦後恐慌」、1923年「震災恐慌」、1927年「金融恐慌」と、深刻な経済危機がたびたび起きていました。
そこへ米国の株価暴落を端緒に世界大恐慌が勃発(1929年)。
生糸や綿織物などの米国向け輸出に依存していた日本は、最悪のタイミングで金輸出を解禁したことも重なり、経済が壊滅。大量の失業者が溢れました。
しかも東北地方を大寒波が襲い大凶作。さらに三陸大津波、北上川の氾濫と災害が相次ぎ、多くの人が餓え、赤子の間引き、娘の身売りが常態化……。
一方、財閥はというと金輸出再禁止を見越した円売りドル買いを進め、為替差益でボロ儲け。政界は汚職事件が頻発し、国民の政治不信が高まります。
政府は何をやっているのだ、と国民が苛立つなか……。
1931年9月、満州事変。翌年3月、新国家「満洲国」の独立宣言。
関東軍の暴走でしたが、困窮していた国民は満洲国建国に熱狂しました。これで、どん底から抜け出せるかもしれない……。
こうしてみると、義経や日持上人らが大陸に雄飛するロマンは、その真偽はさておき、多くの血を流して得た満洲の権益を守ることの正当化、あるいは他国に踏み込む不安のようなものを払拭するためのストーリーとして利用されたともいえます。
国内では1932年「血盟団事件」「五・一五事件」、1935年「相沢事件」、1936年には「二・二六事件」と、続けざまに要人を狙ったテロ事件が起きます。
これらを鎮圧し、権力を掌握した軍部が言論・思想統制を強めると、1937年には議事堂前などで「死のう、死のう」と叫びながら割腹を図る「死のう団事件」が発生し、社会に衝撃を与えました。
「満洲事変」の石原莞爾、「血盟団事件」の井上日召、「二・二六事件」の北一輝、「死のう団事件」の江川桜堂。
これらの事件の首謀者には共通点があります。
急進的右翼=国家神道の狂信者とつい考えがちですが、彼らはみな熱心な日蓮宗(法華宗)信者でした。
日蓮の教えをざっくりいえば「あの世は極楽とか、ヌルいこと考えていちゃダメ。正しい行いをすればこの世を極楽にできる。あきらめずに行動しよう」というエネルギッシュなものです。
この時代を生きた宮沢賢治もまた「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と考える熱心な日蓮宗(法華宗)信者でした。
今も多くの人に愛されている国民的作家・宮沢賢治とテロやクーデターの首謀者が同じ信仰というのは、なんとも奇妙な感じです。
「イーハトーブ」という理想郷を描いた宮沢賢治と、「満洲国」に五族協和のユートピアを託したといわれる石原莞爾の思いは同じものだったのでしょうか。
1932年、関東軍の会議室で開かれた満洲国建国四巨頭会議の記念写真の背景には、「南無妙法蓮華経」と書かれた大きな幕が掲げられています。奇しくも会議が開かれた2月16日は日蓮の誕生日。
未曾有の災害や飢饉が頻発した鎌倉時代に、蒙古襲来を予言して殺されそうになった日蓮。それから約700年後、熱心な日蓮信者が満洲国を建国したわけです。
1936年に「満洲農業移民百万戸移住計画」(20年間で500万人の日本人を満洲に移住させる計画)が国策となると「拓け満蒙、行け満洲へ!」のスローガンのもと、動員のような形で移住が押し進められました。
しかし1937年に日中戦争が起きると戦況はドロ沼化し、最終的にはソ連軍の侵攻もあり、のべ約27万人の満蒙開拓団のうち約8万2000人が亡くなったといわれています。
満洲国とはなんだったのでしょう。
いやはや、ホッケ=法華経説から壮大な話になってしまいました。さて、みなさんは義経=ジンギス・カン説、信じますか?
*参考文献
『義経と満洲』(小谷部全一郎/厚生閣書店)
『ジャパニーズ・ロビンソン・クルーソー』(小谷部全一郎/皆美社)
『義経伝説をつくった男』(土井全二郎/光人社)
『日持上人の樺太布教説をめぐって』(井澗 裕/境界研究No.6)
『イーハトーブと満洲国』(宮下隆二/PHP研究所)
『化城の昭和史』(寺内大吉/毎日新聞社)
『満州事変から日中戦争へ』(加藤陽子/岩波新書)
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