赤海老

赤海老

あかえび


2023年3月1日 掲載


アルゼンチンアカエビと
GDPの生みの親が考えた国の豊かさ

昨年12月のコラムで、サッカーW杯にちなんでC・ロナウドと「タラ」について書きましたが、優勝したのはアルゼンチン。メッシ、大活躍でしたね。


で、ふと思ったのですが、「日本は南米の国々からどんな食料を輸入しているでしょう?」というクイズが出題されたとします。


例えばブラジルからなら鶏肉やトウモロコシ、チリならサケやワイン、ウルグアイなら牛肉、コロンビアならコーヒー……と、主な輸入食料品の一つや二つは見当がつくのですが、アルゼンチンからとなると、あれ? 何を輸入していたっけ?……ってなりませんか?


調べてみると、1位は「アルゼンチンアカエビ」なんですね。日本向け農林水産物の総額の3分の1を占めていたのには、ちょっと驚きました。(『アルゼンチンの農林水産業概況』農林水産省/2020年)


ここ10年くらいでしょうか、鮮魚店などでもよく見かけるようになったアルゼンチンアカエビ。


輸入エビといえば、インドネシアやベトナムなどから輸入しているバナメイエビやブラックタイガーが有名ですが、これらが「養殖エビ」であるのに対し、アルゼンチンアカエビはアルゼンチン南部の湾で獲れる「天然エビ」です。


底曳き網で漁獲され、船内ですぐに急速凍結されるため鮮度がよく、刺身でOKというのも人気の理由なのだとか。


「世界には4種類の国がある。先進国、途上国、そして日本とアルゼンチンだ」と言ったのは、1971年にノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツ(1901〜1985。ロシア帝国、現ベラルーシ生まれ。現ウクライナで統計局長をつとめ、1922年アメリカに移住)でした。


先進国はいつもお決まりの顔ぶれ。なのに、戦争で焼け野原になっても経済大国の仲間入りをした日本。逆に、裕福な国の1つだったのに衰退したアルゼンチン。景気の循環を研究したクズネッツにとって、この2国の例外は興味深かったのでしょう。


2021年の名目GDPは、日本が4兆9408億ドルで世界3位、アルゼンチンは4872億ドルで27位。


クズネッツについては後ほど触れるとして、先に話を進めます。


今でこそ「10年ごとにデフォルト」と揶揄されるアルゼンチンですが、かつては豊かな国で、名作アニメ『母をたずねて三千里』(監督=高畑勲、画面構成=宮崎駿/1976年)は、1882年にアルゼンチンへ出稼ぎに行ったきり音信不通となった母を探しに、マルコ少年がイタリアからアルゼンチンまで旅する姿を描くお話でした。


アルゼンチンは、1816年に独立宣言後しばらく内戦が続き、混乱が収まったのは1860年代前半。1880年代になると、将来有望な投資先として欧米から資本が流入し、アルゼンチン・ドリームを夢見て大勢の移民が渡り、鉄道・港湾などのインフラも整備されていきます。


広大な土地を活かし、最初は羊毛を、続いてトウモロコシ・牛肉・羊肉などを輸出して発展します。いわゆる中間層が増えるにつれ、政治の民主化も進みました。第1次世界大戦(1914〜1918)に巻き込まれることもなく、むしろ荒廃した欧州に食料を輸出して外貨を稼ぎます。


1930年、第1回サッカーW杯がウルグアイで開催されました。参加国は13カ国。アルゼンチンは決勝でウルグアイに敗れ準優勝。


アルゼンチンに暗雲が漂い始めたのはこの頃です。


世界大恐慌が起こると、いわゆる「持てる国」、イギリスやフランスなど植民地を持つ国は高い関税で他国を締め出すブロック経済圏をつくり、保護貿易で未曾有の不況を脱出しようともがきます。


アルゼンチンはイギリスのブロック経済圏に入り、従属するような形で不況脱出をはかりましたが、政治・経済ともに不安定となり、以後、軍事クーデターが頻発するようになります。


そんな世界恐慌の真っ只中、第32代アメリカ大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、国全体の経済指標(それまで存在しなかった!)をつくる任務をある男に命じました。


男のチームはアメリカの産業を農業、鉱業、製造業……と部門ごとに分け、全米を駆け回り、農場主や工場長に何をどれだけ生産し、生産するために何をどれだけ購入したかを聞き取り調査し、膨大なデータを集め、綿密に計算しました。


この任務を遂行した男が、サイモン・クズネッツです。


ウォール街の株が大暴落して以後、いったいどれくらい経済が悪化したのか。誰も正確にわからなかったものが、1934年に議会に提出された彼のレポートにより、明らかになりました。アメリカの経済規模は3年間で半減していたのです。


この数字を根拠に、ルーズベルトは巨大ダムの建設や植林、道路建設などの公共事業で仕事を生み出し、失業者に仕事=お金を与える、いわゆるニューディール政策を進めました。


いわば、クズネッツは現在でも国の経済規模を測る指標として用いられるGDP(国内総生産)の生みの親です。


ただ面積や重量を測定するのと違い、経済統計は人為的に作られるものですから、そこには人の思惑が入り込みます。データとして何を測定して、何を除外すべきなのか。


論争が起こったのは、軍事費の扱いについてです。


クズネッツは、たとえ軍事費が経済の一部を潤したとしても、民間が利用できる財は減少するので、経済は縮小したことになる。カウントするのであれば、プラスではなくマイナスとして計上すべきだ、という意見でした。


しかし、それは第2次世界大戦への参戦やむなしと動いていた合衆国政府にとって都合の悪いものでした。


そこで、軍事費の扱いを解決するために生まれたともいえるのが「GNP」(国民総生産。GDPの前に使用された指標)という考え方です。


《GNP統計は経済における政府の役割を最終的消費者、すなわち自身が使う目的で財やサービスを購入する者として規定した》(『GDP』)


グズネッツの主張は通らず、現実路線派の主導で1942年に初のGNP統計が発表されました。


この統計は《政府支出を含めた支出のタイプがいくつかに分かれており、戦争のための生産力を分析しやすい形になっている》(『GDP』)


《この瞬間から爆撃機も経済のためになる存在として認められるようになった》(『The Number Bias』)


クズネッツはこのGDPという概念をあまり評価しませんでした。


そもそも経済成長とは何なのか、いや、何のために計測するのか。クズネッツにとって国の経済を計測する=国の豊かさを計測することだったのです。


クズネッツは軍事力以外でも、膨大な広告費、金融や投機に関する出費の大半は、人々の役に立つサービスではない。地下鉄や高価な住宅なども、都市生活を成立させるための必要悪としての出費でしかないと考えました。


何をカウントするかは、今でも議論になります。


欧州でもGDPはEU加盟の可否を決める重要な指標ですし、加盟各国の負担金もGDPの規模に応じて決められています。


2014年、負担金の不公平をなくすためにGDPの計算方法が統一されました。その際、オランダなどで合法な「売春」や「麻薬」の一部をGDPにカウントすることが決まり、これらを違法としているイギリスやイタリアでは大騒ぎとなりました。


実際、GDPの数字を上げるものが、国民にとって良いものとは限りません。


大気や海川を汚染する産業でもGDPに貢献しますし、汚染を除去すれば、その費用もまたカウントされます。移民の大量受け入れでコミュニティがギクシャクしても、人口が増えればGDPの数値は上がりますし、犯罪が増加すれば、防犯カメラやセキュリティ会社、国によっては銃の売上が増え、GDPに貢献することになります。


GDPとはそういうものです。


《しかし、第2次世界大戦の終わりから現在にいたるまで、GDPこそが唯一の豊かさの指標であるかのように扱われている》(The Number Bias)


《クズネッツは、あのゴシック小説の登場人物ヴィクター・フランケンシュタインのように、自らの創造物が独り歩きを始め、勝手な方向に進んでいくのを目撃することになるのだ》(『幻想の経済成長』)


《1985年にクズネッツが死亡する頃には、それはまさしく、彼がそうなってはならないと警告したものになっていた》(『GDP』)


GDPは大事な数字ですが、生産を表す一つの指標でしかありません。近年はGDPを重視しすぎだという批判も高まっています。


しかし、それでも「GDPを増やす=国民の幸せ」という単純な図式で語る論者は少なくありません。


おやおや、アルゼンチンアカエビの話から遠く離れて三千里になってしまいました。話をアルゼンチンに戻して終わりましょう。


世界大恐慌が起きる直前の1928年、アルゼンチン第2の都市ロサリオの裕福な家庭に一人の男の子が生まれました。


成長して医学生となった青年は古いバイクにまたがり、南米大陸放浪の旅に出ます。


金持ちのボンボンの破天荒な貧乏旅行でしたが、行く先々で腐敗した政治、アメリカ資本による過酷な搾取、先住民差別、ハンセン病患者たちの悲惨な生活を目の当たりにして、大きな疑問を抱きます。


青年は虐げられている者のために立ち上がりました。彼の名前は「チェ・ゲバラ」こと、エルネスト・ゲバラ(1928~1967)


おそらくサッカー選手以外で、最も有名なアルゼンチン出身者ではないでしょうか。では、また! アディオス アミーゴ!


*参考文献
『GDP 小さくて大きな数字の歴史』(ダイアン・コイル/みすず書房)
『The Number Bias 数字を見たときにぜひ考えてほしいこと』(サンヌ・ブラウ/サンマーク出版)
『幻想の経済成長』(デイヴィッド・ピリング/早川書房)
『国家はなぜ衰退するのか』(ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン/早川書房)

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