河豚

河豚

ふぐ

2022年11月1日 掲載

フグは食いたし、命は惜しし。
フグの肝が食べられる日は来るか?

2009年、81回米アカデミー賞外国語映画賞に輝いた滝田洋二郎監督の『おくりびと』。脚本を担当した小山薫堂さんはこれが初の映画でしたが、『料理の鉄人』を手掛けた放送作家だけあって、食事のシーン、圧巻でした。


職を失い故郷の山形に戻ったチェロ演奏者の小林(本木雅弘)はひょんなことから納棺師・佐々木(山崎努)の手伝いを始めましたが、遺体を扱う仕事に迷いも覚えます。雪の降るなか佐々木を訪ねると、長火鉢で白くて丸い大きなマシュマロのようなものを焼いていました。


小林
「なんですか、これ?」
佐々木
「フグの白子……炙って塩で食うとウマいんだ」


両手の指先で熱々の白子をつかみ、チューチューと吸うようにむさぼる佐々木。悶絶の表情を浮かべ、一息つくと静かに語り出します。


佐々木
「これだってさ……、これだってご遺体だよ」
「生き物は生き物を食って生きている……だろ?」
「死ぬ気にならなきゃ、食うしかない」
「食うならウマいほうがいい」


フグって毒があるんじゃないの? 恐る恐る白子を頬張る小林。口いっぱいに広がるエネルギー溢れる濃厚な衝撃。


佐々木
「ウマいだろ?」
小林
「う、ウマいっすね」
佐々木
「ウマいんだよなあ…………、困ったことに」


納棺という仕事を通して、交差する生と死、命のバトンタッチと許す心の尊さを描いた映画に、フグの白子はふさわしいメニューといえるでしょう。


フグの骨は貝塚からも発見されているように縄文時代、いえ、もっと昔から食べていたでしょうから、数えきれないほど多くの人がフグの毒で亡くなったはずです。それでも人はフグを食べ続け、食べていいフグ、いけないフグ。食べていい部位、ダメな部位を、文字通り身をもって知ることで、安全な食べ方を学んできました。


死ぬかもしれないものをなんでわざわざとも思いますが、美食家で有名な北大路魯山人はフグこそ美食の頂点だと断言しています。


《日本の食品中で、なにが一番美味であるかと問う人があるなら、私は言下に答えて、それはふぐではあるまいか、と言いたい。》(「海にふぐ山にわさび」)


フグの美味しさと毒の怖さは江戸時代も人々を迷わせました。そこまでして食べなくても派とでもいいますか、松尾芭蕉は〈河豚汁や 鯛もあるのに 無分別〉という句を詠んでいます。


一方、〈河豚食わぬ 奴には見せな 不二の山〉と詠んだのは小林一茶。「フグの美味しさを知ろうともしない奴に富士山を見せてもその見事さはわからない」とフグ推し派です……といっても、〈五十にて ふくとの味を 知る夜哉〉の句もあるように、フグの毒を用心して50歳を過ぎるまで食べなかったそうですが。


《河豚食うは 一人渡りの大井川 河豚食わぬ 人に語るな河豚の味》


幕末の博徒、清水の次郎長を一躍有名にした浪曲師・二代目広沢虎造(1899〜1964)の『清水次郎長伝』にもフグ騒動が登場します。


《これからフグでいっぱい飲もうってやつを親分がそばで見ていて、「素人料理のフグは物騒だからよしたほうがいいゼ」と止めたんで。「そうスか、じゃあ、よしやしょう」とよした人はよかったが、「なぁに親分、ワシなんぞしょっちゅうやってんだ、大丈夫っスよ」なんてんで、親分の言うことを聞かずに食べた人が27人。サァ、苦しがって即死が11人。あとの16人は苦しがっただけで命は助かりましたが、とにかく11人がいっぺんに死んだんですから、次郎長びっくり》(二代目広沢虎造「追分三五郎」より)


次郎長一家のフグ中毒の話はたちまち尾鰭がついて広がります。「フグにあたって一家ほぼ全滅、次郎長も虫の息」という噂を耳にしたのが、次郎長の子分・森の石松を騙し討ちにして次郎長一家からの報復を恐れていた都鳥一家。これ幸い、今こそ次郎長の寝首を掻くチャンスと清水港へと向かいました。


清水まであと十町ばかりの追分宿に着いたのが正午少し前。「チョッと早すぎやしねぇか? 人殺しは夜中に限る。その前に腹ごしらえだ」ってんで、料理屋で景気付けとばかりに飲みはじめたんですな。


しかし、追分宿は次郎長のホームグラウンド。情報網が蜘蛛の巣のように張り巡らされております。都鳥一家の動向を察知した次郎長は、大政、小政、大瀬の半五郎、法印の大五郎ら11人で乗り込み、都鳥一家を曲斬りにして可愛い子分の仇をとったァ……ってのが、「追分宿の仇討ち」の一席。


次郎長一家のフグ中毒事件は実話ですが、11人即死というのは「講釈師、見てきたような嘘を言い」でして、実際に死んだのは2人という記録が残っています(襲撃実行部隊も11人ではなく6人)


一般的にフグの毒が強いのは皮、肝臓、卵巣ですが、種によって毒が存在する部位も毒の強さも異なります。映画『おくりびと』で描かれたフグの白子も全てのフグが無毒なわけではなく、クサフグ、コモンフグ、ヒガンフグなどの精巣には毒があります。


また、フグの毒は生息する海域によっても異なります。


厚生労働省のサイト(「自然毒のリスクプロファイル:魚類:フグ毒」)に日本沿岸でみられる21種のフグの可食部位(肝臓・卵巣・精巣・皮・筋肉・腸)の一覧が載っています。


これによると、ナシフグは原則的にはどの部位も食用不可ですが、「ただし、筋肉は有明海、橘湾、香川県および岡山県の瀬戸内海で漁獲されたものに限り食用可。精巣は有明海および橘湾で漁獲され、長崎県が定める要領に基づき処理されたものに限り食用可。」と記載されています。


またヒガンフグとコモンフグの筋肉は基本的に食用可ですが、「岩手県越喜来湾および釜石湾ならびに宮城県雄勝湾で漁獲されるヒガンフグについては食用不可」と注意書きがあります。


しかも、フグ毒は個体差も大きいから始末が悪い。


フグ毒研究の第一人者が、猛毒といわれるトラフグ(天然)の肝を調べたところ、《驚くべきことに無毒、弱毒、強毒の割合がほぼ3分の1ずつであった。つまり、トラフグの肝を食べても必ず中毒になるわけではなく、命に別状がない場合もあることになる。》(『フグはフグ毒をつくらない』野口玉雄/成山堂書店)


青酸カリの1000倍の毒性をもつといわれるフグの毒ですが、食べた人全員が即死したら、美味しさは伝わりません。大丈夫だった人がそのウマさを口にするものだから、また死ぬ人が現れる。


フグの部位のなかでも一番ウマいといわれるのが肝臓ですが、人間国宝の八代目坂東三津五郎がフグ肝を食べて中毒死した事件(1975年)などをきっかけとして、厚生省(当時)は1983年に、種類を問わず、フグの肝の食用を全面的禁止としました(違反した場合は、3年以下の懲役又は300万円、法人の場合は1億円以下の罰金)


フグが毒を持つメカニズムは、食物連鎖で毒が蓄積するという説が有力です。ならば養殖フグの肝なら安全なのではないか、とも考えられます。


2004年、5000匹の養殖フグの肝臓が全て無毒だった実験結果をもとに、佐賀県は国の構造改革特区制度の指定を申請しました。


これはトラフグを陸上養殖して、検査で無毒と認定されたトラフグとその肝を、嬉野温泉の飲食店や旅館でのみ提供し、味わってもらうという、いわば「フグ肝特区構想」。生産から流通までを完全に管理し、温泉とフグ肝を看板に観光客を呼び込み、町おこしに繋げようというものでした。


しかし、厚生労働省は「無毒のフグを確実に生産する方法が、科学的見地から確立しているとはいえない」とこの申請を却下。フグの肝食解禁には至りませんでした。


研究は現在も続いています。もしかすると、近いうちに無毒化したトラフグの肝が食べられる日がくるのかもしれません。食いしん坊には待ち遠しいですね。


ちょうど時間となりました。本日はここまで。


*参考文献
『魯山人味道』(北大路魯山人/中公文庫)
『フグはフグ毒をつくらない』(野口玉雄・著/成山堂書店)
『猛毒動物の百科』(今泉忠明・著/データハウス)
『誰も書かなかった清水次郎長』(江崎惇・著/スポニチ出版)
『清水次郎長――幕末維新と博徒の世界』(高橋敏・著/岩波新書)

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