鯵
あじ
2023年8月1日 掲載
映画『怪物』とアジフライに何をかけるか問題。
カツとフライの違いはどこにあるか、ご存じですか?
ともに具材に小麦粉・溶き卵・パン粉をまぶして油で揚げる料理ですが、「カツ」はカツレツ(cutlet)の略語で牛肉・豚肉・鶏肉など肉を食材としたときに用い、「フライ」は具材が魚介類や野菜のときに使うのが基本のようです。
さて、日本三大フライといえば「エビフライ」「カキフライ」そして「アジフライ」でしょうか。いずれも1900(明治33)年ごろ、西洋料理をもとに日本で開発された洋食メニューです。
この三大フライを「おかず、酒の肴、おやつ」で考えた場合、「エビフライ」はやはりおかず、「カキフライ」はおかずor酒の肴ですかね。
一方、「アジフライ」はおかず、酒の肴、おやつのどれにでもなります。いわばコロッケに近い、庶民的なポジション。立ち食い蕎麦のトッピングになるくらいの気取らなさですからね。
その親しみやすさもあってでしょうか、アジフライはドラマなどで重要な小道具となることがあります。
今年の5月、『怪物』(監督=是枝裕和)で第76回カンヌ国際映画祭「脚本賞」を受賞した坂元裕二さんは、かつてTVドラマ『最高の離婚』(2013年・フジテレビ)で主人公(永山瑛太)にこんなセリフをつぶやかせています。
「昨日の晩ごはん、アジフライでした。僕が醤油かけようと思ったら妻がソースかけました。ハハハハ。僕が言いたいこと3つあります。アジフライには醤油。かけるなら自分のだけかければいいよね。えっ、何でそのうえマヨネーズをかけんの? あり得なくないですか?」
坂元さんは『カルテット』(2017年・TBS)でも「アジフライに何をかけるか問題」を扱っています。
――アマチュア弦楽四重奏のユニットを組み軽井沢の別荘で同居する4人……真紀(松たか子)、すずめ(満島ひかり)、家森(高橋一生)、別府(松田龍平)。家森が別れた妻と暮らす息子の光大を誘拐し、5人で食卓を囲む場面。晩ごはんのおかずはアジフライ。
- 一同
- 「いただきま〜す」
- 家森
- 「光大、取ってあげる、大きいの(アジフライを息子の皿へ)」
- 光大
- 「ありがと」
(醤油差しがすずめ→真紀→別府→光大と回る) - 家森
- 「光大、ちょっと待って。(全員に)みんな何かけてるの?」
- 真紀
- 「お醤油です」
- 家森
- 「アジフライにはソースじゃない?」
- 別府
- 「あっ、すいません(ソースを取りに立ち上がる)」
(光大、醤油をかける) - 家森
- 「光大、何してんの、何してんの! 今、別府兄さんが」
- 光大
- 「お醤油でもいい」
- 家森
- 「うちは昔からソースだって」
- 光大
- 「ママがソースでもお醤油でも食べれるようになったほうがモテるよって」
- 真紀・すずめ
- 「偉いね〜。モテますね〜」
- 家森
- 「(醤油をかけるか逡巡するが)……別府くん、ソースいただける?」
- 別府
- 「はい。(冷蔵庫を開けて)家森さん、ウスターですか、中濃ですか?」
- 家森
- 「ウスター!」
アジフライに何をかけるかは、人は容易にはわかりあえないことの比喩でもあります。
坂元さんの脚本では醤油が多数派ですが、Jタウン研究所が行った「アジフライに何をかけますか」という調査(2018年・総投票数1247票)では1位 ウスターソース(29.4%)、2位 醤油(23.3%)、3位 中濃ソース(15.8%)、4位 タルタルソース(8.8%)、5位 なにもかけない(5.5%)……でした。
みなさんは何派ですか?
ちなみに慶応義塾大学が開発した味覚センサーAI「レオ」の測定では、アジフライとの最も相性のよい組み合わせはソース、醤油を押さえて「味ぽん」だったそうです。
なんと、味ぽん!
こうなるともう、揚げ物界のバーリトゥード。何でもかかってきなさい的なアジフライの底力を感じますね。
一方、監督の是枝さんの代表作『海街diary』(2015年・脚本=是枝裕和)にもアジフライが登場します。
幸(綾瀬はるか)、佳乃(長澤まさみ)、千佳(夏帆)の三姉妹と鎌倉で暮らすことになった異母姉妹のすず(広瀬すず)。すずの地元サッカーチームの入団祝いに食堂「海猫食堂」のおばちゃん・二ノ宮さん(風吹じゅん)がおまけしてくれたのが揚げたてのアジフライでした。
姉妹が揃って「海猫食堂」を訪れるシーンで、4人中3人が注文したのもアジフライ定食。
二ノ宮さんが店をたたみホスピスに入ることを決めたとき、二ノ宮さんの友人でカフェ「山猫亭」店主の福田さん(リリー・フランキー)は姉妹に「店はなくなっても、おばちゃんのアジフライはうちで出そうと思いよっちゃ。まさか弟もレシピまでよこせとは言わんやろ」と伝えます。
映画は姉妹の父の葬式に始まり、二ノ宮さんの葬式で終わります。
『海街diary』は四姉妹の物語ですが、主人公は姉妹の暮らす古い木造二階建ての「家」であり、海辺の「街」だともいえます。
母が去っても庭の梅の木は実をつけ、父は死んでも新しい妹ができ、店主が亡くなってもアジフライの味は街に残る。
季節は巡り、人は入れ変わりますが、日々の営みは繰り返され、そのなかで失われるものもあれば受け継がれていくものもある。
《もしも僕の映画に共通したメッセージがあるとするなら、かけがえのない大切なものは非日常の側にあるのではなく、日常の側のささやかなもののなかに存在している、ということ》だと是枝監督は語っています。(『映画を撮りながら考えたこと』)
こうしてみると、映画『怪物』はアジフライに特別な思いをもつ監督と脚本家がタッグを組んだ映画といえるでしょう。
美味しいアジフライを食べられる店のある町って、ささやかだけど確かな幸せがそこにある感じがしませんか。
「誰かにしか手に入らないものは『幸せ』って言わないんだよ。誰にでも手に入るものを『幸せ』っていうんだよ」(『怪物』)
さて、町に1軒あるだけでも嬉しいのに、30軒以上もあるのが「アジフライの聖地」として有名になった長崎県松浦市です。
昔からアジフライを提供する店が松浦に多かったわけではありません。むしろ地元では刺身や塩焼きで食べるのが定番で、大人が好んで食べたのは骨ごと薄く筒切りにした「背切り」。新鮮なアジをわざわざフライにするなんてことはまれでした。
仕掛け人は「アジフライの聖地をめざす」を選挙公約の一つに掲げて2018年2月に就任した友田吉泰市長です。
就任1年目の友田市長に「なぜ松浦をアジフライの聖地にと考えたのですか?」と尋ねたことがあります。
「呼子(よぶこ=佐賀県)のイカ、中津(大分県)の唐揚げのように、松浦を知ってもらい、来ていただくきっかけとなるインパクトのあるものは何かと考えていて、私自身が揚げ物好きで、出張先で食べるアジフライよりも松浦のほうが断然美味しいってことに気がついたんです。
松浦はアジの水揚げ量日本一の町です。いきのいいアジが豊富にあるわけで、これを活かさない手はないと。選挙公約に掲げたときは『え? アジフライ??』ってキョトンとされましたけれどね」(友田市長)
市長は、観光客が食べられるように土日も営業してアジフライを提供してもらえないかと飲食店に協力を要請。食べられる店のマップを作成し、メディアで積極的にPR。学校給食のレギュラーメニューにも取り入れるなどアジフライの聖地計画は着々と進み、2019年4月27日に「アジフライの聖地 松浦」を宣言。
すると年間60万人ほどだった観光客がドーンと93万人越えまで増えたのです。おそるべし、アジフライのパワー。市長、グッドジョブ!
2019年に制定された「松浦アジフライ憲章」にはこう書かれています。
一、私たちは、松浦市で水揚げされたアジ、又は松浦市周辺海域で漁獲されたアジを使用します。
一、私たちは、ノンフローズン又はワンフローズンで提供します。
一、私たちは、できるだけ揚げたてアツアツを提供します。
なかでもアジフライの味を決定的に左右するのが冷凍回数です。
「ノンフローズン」とは一度も凍結せずに作ったアジフライのことで、「ワンフローズン」は水揚げされたアジを捌き、その日のうちに衣づけまでしてから凍結したアジフライのこと。
これらは「ツーフローズン」(鮮魚の段階で一度凍結し、海外の加工場などに送り、そこで解凍し捌いて衣をつけて、再び凍結して日本へ送られたもの)のアジフライと比べると旨みも食感もまるで違い、身は分厚く、ふっくらジューシーです。
アジフライ提供店が増えるつれ、店ごとに個性化が進み、パン粉や揚げ方を工夫したり、オリジナルソースの味を競ったり、アジフライ海苔巻きなどの新メニューが登場したばかりでなく、電車の吊り革にもwithアジフライ。
町まるごとアジフライのテーマパークといった感じで、つい店をハシゴして食べ比べしたくなります。
何をかけるか問題の他にも、開いた三角形のアジフライvs三枚におろしたフィレタイプのアジフライ、どちら派か? 旨みを引き出すために一晩寝かせてから揚げるバージョンvs直前までいけすに生かしておいたのを揚げるバージョン、どちら派か?
たかがアジフライ、されどアジフライ。アツく語れるのがアジフライの深くて面白いところですね。
*参考文献
『映画を撮りながら考えたこと』是枝裕和(ミシマ社)
『是枝裕和対談集 世界といまを考える1〜3』(PHP文庫)
『ユリイカ 特集・坂元裕二』2021年2月号(青土社)
『初恋と不倫』坂元裕二(リトルモア)
『長崎県観光統計データ』(長崎県)
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