海鼠
なまこ
2023年2月1日 掲載
ナマコに学ぶ、孤独という幸福のかたち。
昨年12月、密漁を防止し、密漁した魚介類を市場に流通させないための新しい法律*が施行され、ナマコの採捕及び取扱事業者は、行政機関への届出、漁獲番号の伝達、取引記録の作成などが義務付けられました。
要するに、届出のない業者や、漁獲番号のないナマコの取引はできませんよ、ということです。
ナマコの漁獲量は全国で約6100㌧。最も多いのが北海道で2281㌧。以下、青森797㌧、山口523㌧、兵庫・大分250㌧と続きます(2020年)。
水産動植物の密漁は、かつては漁業者の違法操業が多かったのですが、2002年ごろから漁業者以外の密漁が急増し、2020年の密漁検挙件数(海面)1368件のうち、漁業者198件に対し、漁業者以外が1128件と圧倒的に多くなっています。
悪質な密漁が増加したことで、2018年には罰則が強化され、特に密漁が深刻なアワビ、ナマコ、シラスウナギについては、「最大で3年以下の懲役又は3000万円以下の罰金」となりました。
さ、3000万円!
これは個人に対する罰金としては最高額で、銃刀法や武器等製造法等と同じ厳しさです。
「でも、ウニとかアワビの密漁に厳しいのはわかるけれど、なんでナマコが?」という疑問も湧くのではないでしょうか。
日本では食わず嫌いの人も多いナマコですが、中華料理ではアワビ、フカヒレなどと並ぶ超高級食材です。
21世紀に入り、経済の発展とともに中国では富裕層が増加。庶民の所得も増えたことで、ナマコの需要が高まりました。
わが国の水産物の輸出総額(2020年)は2276億円。そのうち、ナマコは約200億円。ホタテ、サバ、カツオ・マグロ類に次ぐ4番目の主力輸出商品ですから、ナマコを侮ってはいけません。輸出先は、85%が香港です。
世界のナマコ・マーケットの中心である香港には、パプア・ニューギニア、インドネシア、フィリピンなど、世界各地から、低価格から高価格までさまざまなナマコが集まります。
なかでも北海道産の乾燥ナマコは最高級品で、市場価格で1kg=40~50万円もするのだとか。A5クラスの松阪牛シャトーブリアンもかないません。まさに黒いダイヤです。
ナマコはとにかく金になる。しかも、簡単に採れそうだ。
そのために密漁が横行し、暴力団など反社会的勢力の資金源になっているのだとか。そういえば、闇金の借金返済のために北の海に潜らされて、ナマコを密漁したなんていう話も耳にしますし、ナマコ投資詐欺事件なんてのもありましたっけ。
それにしても、ナマコは不思議な生き物です。
夏目漱石は『吾輩は猫である』の序文で、ナマコを喩えにこう書いています。
《此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な文章であるから、たとい此一巻で消えてなくなった所で一向差さし支つかえはない。》
手足も目もなく、どちらが前か後ろかもわからない。ゴロンとただ存在する。ただただ、そこにある。生きているのか、死んでいるのかさえよく分からない。
ヒトの死を「脳死」をもってするのか、「心停止」をもってするのか、議論は分かれるところでありますが、ナマコの場合はというと……。
ナマコには目、鼻、耳といった感覚器がありませんから、感覚情報を処理する「脳」がありません。「脳死」をもって死とするならば、ナマコはすでに死んでいるということになります。
「脳死ってのは、脳が一番エラいというアタマ偏重のいびつな考え方なんだよ。なんといってもカラダが資本。心臓が止まってからのあの世だぜ」ということになるかというと……。
ナマコは血管がなく、酸素や栄養の循環は水管系と呼ばれるシステムと体腔内の体腔液が担っています。つまり「心臓」もないのです。
おぬし……、いったい何者なのだ。
ナマコの体の大部分は皮膚で、あとは体腔の水でできています。筋肉がほとんどありませんから、一部の種類を除き、動くのは苦手です。獲物を追うこともできなければ、敵から逃げることもできません。
静かに海底の砂を食み、付着しているわずかな有機物を栄養とし、皮を厚く、硬くしていったのです。大部分が硬い皮膚ですから、誰も積極的に食べようとしない。いわば食物連鎖の主戦場から離れた形で。誰からも見向きもされない生き方を選択したのです。
誰にも迷惑かけませんから、どうぞ、私のことは捨て置いてください……、そんな感じですかね。
I don’t see anything wrong with being alone, it feels great to me.
(アンディ・ウォーホール)
ナマコは『古事記』(712年)にも登場します。
そこにはアメノウズメが魚たちを集め「ニニギノミコト(高千穂に降臨したアマテラスの孫)に仕えるか?」と問いかけ、皆が「仕えますとも!」と熱狂的に答えるなか、ナマコだけは無言を通したとあります。
そのせいでナマコはちょん切られてしまうのですが、誰にもかまって欲しくなかったとはいえ、神様相手に肝が座っています。
おっと、ナマコには肝臓もないのでした。
*「特定水産動植物等の国内流通の適正化等に関する法律」(水産流通適正化法)
*参考文献
『世界平和はナマコとともに』(本川達雄/CCCメディアハウス)
『生物学的文明論』(本川達雄/新潮新書)
『ナマコ学』(高橋 明義・奥村誠一/成山堂書店)
※WEBマガジン『COLOCAL(2013年1月)に発表した記事「太くて長くて硬いのはお好き?」を大幅に加筆・修正いたしました。
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