Web版 解説ノート
2020年12月21日(月)更新
東京湾をもっと素敵に
2020年12月21日(月)更新
高度成長期、東京湾は「死んだ海」に
前回、東京湾の漁獲量が激減したグラフを見た通り、1960年代の高度経済成長期に一番ダメージを受けたのが貝類です。かつて東京湾は貝類の一大産地でした。
アサリたっぷりの「深川めし」、小柱のかき揚げ、煮ハマの握り寿司、アサリやシジミの佃煮……江戸前料理に貝は欠かすことができません。
東京湾岸の駅弁にも貝の名産地の名残があります。昭和15年に登場した千葉駅の駅弁「やきはま弁当」は、ご飯にハマグリの串焼きをのせたものですし、茶飯の上に生姜の効いた煮アサリをのせた木更津駅の「漁(あさ)り弁当」は昭和30年からのロングセラーです。また、品川駅には、貝の産地をオマージュした駅弁「貝づくし」が売られています。
東京湾が大きく変貌したのは戦後です。戦争に敗れた日本は工業国として復興するために、港湾の整備、エネルギー基地の建設、京浜・京葉沿岸の工業地帯化、交通インフラの整備などを進めるために、内湾沿岸の約8割を埋め立てました。
加えて1964年の東京五輪開催に向けて、運河は高速道路にかわり、小川は暗渠化され下水道がわりとなり、海は都心に集中した人々が生み出す膨大なゴミの捨て場となり、沖合も埋め立てられました。
こうして身近にあった水辺は一般人の立入禁止区域になるとともに、海や川への関心は失われ、環境は一気に悪化しました。
東京湾は、面積は国土面積の約2%に過ぎませんが、流域には約2900万人と日本の全人口の約4分の1が暮らす、世界に類のないほど人口が集中している海です。
1970年代、私たちが流す生活排水、工場が垂れ流す産業排水、ゴミの不法投棄により河川の水質は最悪になりました。そして、最終的にその水が流れ込む東京湾は、汚れて臭く生物のいない「死んだ海」と思われるようになったのです。
東京湾を汚しているのは何か?
東京湾を汚している多くの原因は、産業排水よりも、私たちの生活から出る生活排水にあります。
炊事、洗濯、風呂、トイレなどの排水には多くの窒素やリンが多く含まれています。野菜を作るときの肥料として窒素やリンが使われるように、これらはとても栄養価が高いのです。
東京湾の富津岬と観音崎の間は約6kmと狭いため、海水の交換が悪く、これらの栄養分は拡散せずに内湾にとどまってしまいます。江戸時代のように海に流れ込む栄養が適度ならばよいのですが、栄養が多すぎるために、内湾がいわゆるメタボ、過度の肥満状態になってしまったのです。
すると困ったことが起きるようになりました。「赤潮」「貧酸素水塊」「青潮」といった現象です。
赤潮、貧酸素水塊、青潮の三重苦
「赤潮」は栄養過多の海で水温が上がったときにプランクトンが異常に繁殖する現象で、海を赤く染めることから、こう呼ばれています。魚や貝が食べる以上の大量のプランクトンが発生すると、プランクトンがエラを塞いでしまい、魚は呼吸ができずに窒息死してしまいます。大量のプランクトンもやがて死んで海底に溜まります。
海底に積もった魚やプランクトンの死骸は腐敗し、分解します。その過程で消費されるのが海中の酸素です。「貧酸素水塊」とは海底付近にできる酸素が少ない水の塊のことです。貧酸素水塊に覆われると遊泳力のない稚魚や小魚、海底にいる貝は逃げられず、ひとたまりもありません。
そして東京湾では北風が吹くと、海底の貧酸素水塊が湾奥へと押し上げられ、広範囲で多くの魚介類を窒息死に追いやります。海面が化学反応で乳青色になるので「青潮」と呼ばれます。
赤潮、貧酸素水塊、青潮で死んだ大量の生物の死骸は、海底に積もり、それが分解されるときに海中の酸素を消費します。つまり、マイナスのスパイラルとなってしまうのです。
1979年に水質総量規制が実施され、下水処理場などの水質浄化事業の整備が進んだことにより、流入する有機汚濁物質の流入は、その後の25年間で2分の1以下になりました。東京湾の水質はずいぶん改善し、赤潮の発生は減ったのですが、海水に溶けている酸素量は悪化傾向にあるのが現状です。
東京湾をよくするために私たちができること
東京湾をもっとよくするには、どうすればよいのでしょうか。
一つは下水処理の問題です。東京都区部の82%は生活排水と雨水を1本の同じ管に集める合流式下水道です。都市化に伴い地表がコンクリートに覆われたこともあり、ゲリラ豪雨があると雨水は一気に流れ込むので、合流式下水道では、雨水とともに汚水を未処理のまま川に放流してしまうのです。
それを防ぐために貯留施設の整備、分流式下水道の推進、窒素やリンなどを確実に除去する高度処理施設が求められています。
また、東京湾には長年の負の遺産が溜まっています。東京湾の海底はもともと砂や砂礫、粘土など多様で、それぞれの底質に適した生物がいたのですが、排水やプランクトンの死骸などの有機物が堆積し、一面にヘドロ化して多様性が失われてしまいました。
汚泥を浚渫で取り除いたり、良質な土壌を用いてヘドロを覆砂したりするなど、水質だけでなく海底の改善も必要なのです。
埋め立てで失われた干潟、浅場、藻場は生物の産卵場であり、稚魚の生息場所だっただけでなく、海への酸素の供給源でもありました。人工干潟や人工海岸、浚渫砂泥による盛り土や潮入の池の造成も、生物の生育や貧酸素水塊の逃げ場づくり、酸素供給に効果があるといわれています。
では、私たちが暮らしのなかで、東京湾のためにできることは何でしょう。
一つは生活排水をできるだけ汚さないようにすることです。料理の残り汁や油、洗剤、トイレットペーパーなどを流す量を減らしましょう。
二つめは東京湾の水産物を食べることです。死んだ魚、貝、海藻は海の底で分解する過程で酸素を消費し、海の環境を悪化させてしまいます。東京湾で獲れる水産物を積極的に食べることにより、私たちが海に流した栄養分を回収することも大切です。
三つめは、たまには海や海辺で遊ぶことです。釣り、潮干狩り、マリンスポーツ、屋形船でクルージング……。東京湾が食べたり、遊んだり、ぼんやりした時間を過ごしたりする身近で心地のよい場所なのだとみんなが意識し、関心を持つようになれば、東京湾はもっと豊かな海に変わるはずです。
東京湾岸は工業、貿易、商業の拠点として、日本の経済を支えてきました。しかし、経済的利益を優先するあまり、豊かな自然を失ってしまいました。
持続的な循環が大切なのは経済も自然も同じです。高い経済機能を維持発展させつつも、健全な自然環境を再生し、継承していかなくてはなりません。世界有数の大都市でありながら、自然と共存する街。それができれば、きっと「東京モデル」として世界に誇れるものになるはずです。
東京湾の逆襲!
東京湾の逆襲!
度重なるダメージにさらされながらも不死鳥のごとく復活するたくましさ。大都会・東京の目の前に広がる海は実に魅力的なミラクルワールドなのです。東京湾のこと、ご存知ですか?