カタツムリやクリオネも貝の仲間

貝類が地球に登場したのは、約5億年前のカンブリア紀と言われています。地球の環境の変化に合わせて適応する能力を獲得しながら、現在では水深1万mを超える深海の海底から標高1000mの高山まで、海・川・湖沼・田んぼ、畑、住宅地といたるところに貝は分布しています。

住宅地というと不思議な感じを受けるかもしれませんが、梅雨時によく見かけるカタツムリも巻貝の仲間です。

サオトメイトヒキマイマイの貝殻の写真
中米の西インド諸島に生息するカタツムリの仲間サオトメイトヒキマイマイの貝殻はとてもカラフル

とはいえ、やはり海にすむものが多く、日本のまわりには8000種ほどの貝が生息しているといわれます。

2枚の殻が合わさった二枚貝と螺旋(らせん)状をした殻の巻貝とでは、大きく形が異なりますが、どちらも伸び縮みする柔らかな体を貝殻で保護しています。

貝は必ず貝殻を持っているイメージですが、分類学では、貝は軟体動物。殻を持たないイカやタコなどの頭足類も仲間ですし、クリオネ(ハダカカメガイ)やウミウシのように、巻貝の仲間でも貝殻が失われてしまったものもいます。

一方、貝殻のような硬い殻を持ち、岩に張り付いているフジツボやカメノテは貝の仲間と思われがちですが、これらはエビやカニの仲間で、貝ではありません。ただ、私たちが普通「貝」と呼ぶ場合、硬い殻に覆われた軟体動物を指すことが多いので、本稿では、二枚貝と巻貝を中心に紹介します。

色も形もさまざま。貝殻の不思議

貝とヒトとの付き合いは古く、昔から食料としてはもちろん、硬くて丈夫な貝殻はナイフなどの道具や腕輪などの装身品として利用されてきました。

貝殻は外敵から身を守るために発達した器官です。

貝殻は炭酸カルシウムとたんぱく質でできています。内臓を守るように包む外套膜(がいとうまく)から分泌されたカルシウムが化学反応を起こして結晶化し、既存の殻に付着することで、大きく厚く成長していきます。

カジトリグルマ、カフスボタン、マンボウガイ、ヒレジャコの写真
カジトリグルマ、カフスボタン、マンボウガイ、ヒレジャコ

巻貝は右巻き(螺旋が時計回りなら右巻)、左巻きの両方いますが、なぜか左巻の巻貝は少なく、9割以上が右巻だといわれています。

サカマキボラの写真
アメリカ東海岸に生息するサカマキボラは珍しい左巻き

また、一般的に北の冷たい海にすむ貝は色や模様が地味で、南の暖かい海にすむ貝は色鮮やかな傾向にあります。基本的に同じ種の貝は色や模様がほぼ一定なのですが、アサリのように個体によって殻の色や模様が異なる例もあります。

肉食系、草食系、絶食系……エサもいろいろ

貝の食性はバラエティに富んでいます。

軟体動物に特有の器官に「歯舌(しぜつ)」があります。リボン状の膜の上に規則正しく並んだ細かな歯を前後に動かし、ヤスリのようにしてエサを削り取ったり、すり潰したりするのです。

貝の食性のイラスト
軟体動物に特有の摂餌器官である歯舌で削り取るように食べる。
歯舌はすり減るが次々に新生される。

多くの巻貝がエサにしているのは海藻です。サザエやアワビなどは海藻類を、歯舌を使って削り取るように食べています。

ツメタガイなどタマガイ科の貝は大きな足で二枚貝を包み込むと、酸性の物質を分泌して殻を柔らかくし、歯舌で小さな穴をあけ、そこから中身を食べます。

一方、アサリやカキなど二枚貝の多くは海水に含まれる有機物をエラで濾し取って食べています。オオヘビガイなどムカデガイの仲間も巻貝にしては珍しく足から分泌した粘液を網のように流し、有機物やプランクトンを絡めとって食べています。

いわゆるエサを摂らない、ちょっと変わった貝もいます。シャコガイは体表の細胞の間に単細胞の藻類を共生させています。この共生藻はシャコガイの出す二酸化炭素と太陽光エネルギーで光合成を行い、酸素や有機物をつくりだします。シャコガイはこの有機物を栄養にしているのです。

繁殖戦略も百貨店並みの品揃え

貝の繁殖についてみてみましょう。これもさまざまなスタイルがあります。

二枚貝は出水管から精子や卵を吹き出して水中で受精を行います。巻貝のアワビやサザエも同じで、孵化した幼生は海を漂いながら成長し、親と同じ形になると水底で生活を始めます。

貝の受精のイラスト

同じ巻貝でもアカニシやツメタガイは交尾をして、メスが袋に包まれた受精卵の塊を海底の砂や岩などに産卵するスタイルです。タニシやカワニナなどは交尾をし、メスが胎内で受精卵を育て、親と同じ形をした稚貝を産みます。

オスの生殖器官(精巣)とメスの生殖器官(卵巣)の両方を一個体にもつものを雌雄同体といいますが、トリガイやシャコガイがこの形態です。シャコガイは自分の精子と卵が受精する確率を減らすために、最初に放精し、時間をおいて放卵します。

貝類の寿命もさまざまで、クリオネは1〜2年、アサリは6〜7年、アワビが7年以上、ホンビノスガイは30年以上と考えられています。なかには500年以上も生きたアイスランドガイが発見されていますから驚きです。

私たちが日常よく口にする貝の代表ともいえるホタテ、カキ、アサリはどんな一生を過ごす生き物なのでしょう。身近な貝の意外と知らない横顔をご紹介しましょう。

食用貝の王様として君臨する「ホタテ」

刺身でもフライでも美味しいホタテガイ。主に食べるのは貝柱ですが、ヒモも美味です。このヒモと呼ばれる外套膜をよく見ると、黒ゴマのようなツブツブが80個くらい点在しているのがわかります。これはホタテガイの眼です。眼とはいっても原始的なもので、明るさを感知できるくらいだそうです。

ホタテガイの写真

貝ですから動きは鈍そうですが、天敵のヒトデから逃げるときは貝殻を開閉させて水を噴射して、素早く逃げることができます。

ホタテガイは産まれたときはすべてオスです。で、1年後に半数がメスに性転換します。オスとメスの見分け方は三日月型をした生殖巣の色で、オレンジ色っぽいのがメスで、白っぽいのがオスです。

貝類の年間生産量をみるとホタテガイは第2位のカキに圧倒的な差を付けてトップ。食用貝の王様として君臨しています。代表的な生産地は北海道と青森です。

ホタテガイは1年で約2cm、3年で約9cm、4年で約11cmに成長しますが、漁獲の大部分は、「地まき式」「垂下式」という2種類の増養殖方式で生産されています。

「地まき式」とは、ヒトデなどの天敵を駆除した水深30mくらいの砂礫質の海底にホタテの種苗をまき、自然に成長するのを待ち、大きくなったところを桁(けた)曳き網で漁獲する方式です。

ホタテ桁曳き網の写真
ホタテ桁曳き網

広いホタテ漁場を有する産地では漁場を4区画前後に分け、毎年、区画を変えて種苗放流し、それぞれの区画で3~4年間成長させてから順次漁獲します。ですから毎年サイズの揃ったホタテガイが安定出荷できるのです。

「地まき式」は初夏から秋が水揚げの最盛期で、主にホタテ貝柱や干貝柱などに産地で加工されています。

「垂下式」は海面に養殖施設を組み、種苗をカゴに入れたり、貝殻の耳に穴をあけテグスで海中に吊り下げたりして成長させます。1960年代はじめに始まった養殖方式ですが、「地まき式」に比べると狭い海域でも大量に生産できます。

「垂下式」は冬から春にかけて水揚げされることが多く、主にボイルホタテ、むき身ホタテなどに加工され、出荷されています。

ホタテガイは国内で消費されるだけでなく、中国やアメリカなど海外にもたくさん輸出されています。あまり知られていませんが、数ある日本の農林水産物のなかで輸出額のトップはホタテです。

古今東西の英雄たちが愛した「カキ」

カキは武田信玄、シーザー、ナポレオンも好んで食べたといいます。漢字で書くと「牡蠣」。「牡(おす)」という字を当てているのは、古代の中国ではカキはすべてオスだと考えられていたためといわれています。

カキの写真

実際、カキの性別はややこしく、秋から冬の生殖を終了した生殖巣を顕微鏡で見てもオスメスの判断はつきません。生殖巣が発達する初夏になると判別は可能になるのですが、性は一定ではなく、栄養が豊富だとメスに、そうでないと雄に性転換するようです。

生食を嫌う欧米の食文化のなかでカキだけは例外的に生食として発達した食材です。日本人が生ガキを食べるようになったのは明治以降。それまでは蒸す、焼くなど加熱調理するか、酢じめにして食べていました。

生ガキはフランス料理のオードブルとしても有名ですが、フランスで養殖しているカキの99%は日本のマガキの子孫です。1970年代にヨーロッパの在来種のカキが病気でほぼ全滅してしまったので、病気に耐性のある日本産(主に宮城産)のマガキを輸入して養殖するようになったのです。

カキ養殖の歴史は古く、ヨーロッパでは古代ローマ、日本では室町時代の後期に安芸国(現・広島県)で始まりました。

現在の養殖の主流は1950年頃に発明され、急速に普及した「筏式垂下養殖法」です。カキの幼生が浮遊し始める夏にホタテの貝殻を海中に吊るして幼生を貝殻に付着させ、植物プランクトンの豊富な海で、水温に応じて水深を変えながら約1年育てます。

カキの筏式垂下養殖法のイラスト
カキの筏式垂下養殖法

養殖カキの生産量日本一は広島県で、全国総生産量の約6割を占めています。広島のカキはほとんどが加熱用のむき身として出荷されています。

「アサリ」の消費量トップは山梨、甲斐の国。

潮干狩りでもおなじみのアサリは本州や九州では春と秋、北海道では夏に産卵します。

東京湾のアサリの写真
東京湾のアサリの模様は一つ一つが個性的

生まれたばかりのアサリの幼生は海中を浮遊し、時には潮の流れにのって100kmも移動することもあるそうです。2〜3週間で親に近い形の稚貝になると足糸と呼ばれる細い糸で海底の砂にくっつきます。10mmほどの大きさになると砂に潜るようになり、25mmを超えると産卵を始めます。

岸寄りで育ったアサリの貝殻は団子状に丸く殻も厚く、沖側で育ったものは殻は薄く平べったい形をしています。

アサリは世界中で食べられていますが、ヨーロッパでは1960年代半ばにアサリが激減してしまったためにアメリカから輸入し、アドリア海などで養殖するようになりました。

こう記すと現在のヨーロッパのアサリはアメリカがルーツのようですが、実はこのアメリカのアサリ、もとをたどると明治時代に宮城県から輸出された養殖用のマガキに混ざって海を渡り、アメリカとカナダの西海岸で大増殖したものなのです。

とはいえ、日本も1980年代前半をピークに、漁獲量が大きく減少してしまいました。一部地域でアサリの養殖も行われていますが、多くは自然繁殖に依存しています。

天然のアサリの出現量は年によって大きく変動します。好条件では、それこそ湧くように増えるのですが、現在、10mmに満たない稚貝はたくさんいても、20mm以上に育つ前にいなくなってしまうのだそうです。

着底できる場所作り、十分なエサ(植物プランクトン)の供給、海水中の酸素、天敵対策……、アサリを大きく育てる研究は続けられていますが、大量のアサリが中国から輸入されています。

2022年、熊本県産のアサリの産地偽装が問題になりました。もちろん偽装はよくないことですが、これもアサリの漁獲量の激減が招いた結果です。アサリが育つ海を取り戻すことが急務なのです。

通貨として、装飾品として

食用としての貝を見てきましたが、貝類の利用はそれだけではありません。

大昔、中国、インド、アフリカ、オセアニアと世界の広い地域で貝殻が通貨として使われていました。これは貝貨(ばいか)と呼ばれるもので、主に流通していたのは、キイロダカラなどのタカラガイです。

漢字で貝偏のものは、財、貯、賄、購、販、貨、贈、賭……など金銭に関係する漢字が多いのはこのためです。

貝とお金の話でいえば、日本ではこんなこともありました。

明治維新は本格的な貨幣経済時代への転換期でもあります。維新で納税は年貢から金納となり、自給自足だった農民も現金が必要な社会となりました。

このため高い賃金を求めて、オーストラリアのアラフラ海に渡り、潜水夫として活躍したのが和歌山の漁民・農民たちでした。海に潜って洋服に欠かせないボタンやナイフの柄の素材となる白蝶貝などを採集したのです。

海を怖れ、潜ることを嫌がる民族が多いなか、彼らは優秀なダイバーとして重宝されました。

白蝶貝のボタンの写真
白蝶貝をくり抜いてできたボタン

漁はダイバー(潜水夫)、テンダー(綱持ち)、コック、貝の清掃、仕分けをおこなうクルーなど8〜10人を乗せた小型船で操業しました。半日から一日半かけて漁場に到着すると、ダイバーは重いヘルメットと潜水服を着込んで水中に潜り、海底を歩くようにして白蝶貝を採集しました。空気はホースとふいごを使って人力で海底の潜水夫に送りました。

日が暮れるまで1回30分から1時間の潜水を何度も行い、漁は1週間から2週間休みなく続いたそうです。高賃金でしたが、潜水病で重度の障害をおったり、亡くなったりする方も少なくなかったそうです。

世界シェア9割、真珠大国日本

貝から生まれた最も美しいものの代表といえば真珠でしょう。

真珠は、異物混入などにより、アコヤガイや白蝶貝などの体内に貝殻成分(真珠層)を分泌する外套膜が偶然入り込むことでできます。天然真珠は1万個の貝から数粒しか見つからないといわれ、古くから宝石として珍重されてきました。

20世紀のはじめには、天然真珠はダイヤモンドよりも高価でした。ヨーロッパの真珠シンジケートが独占して、価格を吊り上げたのです。

その頃、三重県の英虞湾で養殖真珠の生産に成功したのが後に「真珠王」と呼ばれる御木本幸吉です。ロンドンを中心に養殖真珠を売り出すと、これが爆発的にヒットしました。

真珠の写真
真珠の石言葉は「健康・長寿・富・無垢」

養殖真珠の作り方は、アコヤガイの殻を広げ、外套膜の切片(2mm角)と真珠の中心となる核(肉厚の二枚貝の貝殻を研磨して球状にしたもの)をメスとピンセットを使って生殖巣に挿入します。これを核入れといいます。

核入れした貝は筏に吊るして、海水温や水環境に気を配りながら大切に育てます。埋め込まれた外套膜は細胞分裂して、真珠を生成する真珠袋をつくり、その中で炭酸カルシウムの結晶と有機質が交互に積層して、少しずつ真珠は大きくなっていきます。そして約1年半後、貝を引揚げ、真珠を取り出すのです。

1950年代には世界の9割のシェアを占めるまでになった「真珠大国」日本でしたが、60年代後半になると流行の変化で需要が激減します。プラスチックなどの摸造真珠が登場したことに加え、90年代には、海の環境悪化とともに新型感染症の蔓延でアコヤガイの大量死が発生。生産量が減少して苦しい状況が続いています。

おはじき、ベーゴマ、碁石も貝

貝は平安時代から玩具としても使われています。ハマグリの殻は「貝合わせ」という遊びに。キサゴはおはじきに。バイガイの殻に粘土を詰めて作ったコマが「バイゴマ」で、これは後に訛って「ベーゴマ」となりました。

囲碁が日本に伝わったのは7世紀頃ですが、碁石の白石の最高級品とされているのがハマグリをくり抜いたものです。

普段目にする小さなハマグリからどうやって碁石を作るのか不思議ですが、外洋に生息するチョウセンハマグリは碁石をいくつもくり抜けるほど大きく成長するのです。

蛤碁石の写真
白石の最高級品は蛤碁石

ハマグリから白石が作られるようになったのは17世紀ごろのことです。当時は常陸産や桑名産のハマグリを使い、大阪で加工していましたが、明治半ばに宮崎県日向海岸で厚みのある美しいハマグリが発見されると、日向が蛤碁石の一大産地かつ加工地となりました。

現在は原料となるハマグリが採れなくなり、メキシコから輸入されています。超高価なものだと1000万円を超えるものもあるそうです。

このように我々は昔から食べるだけでなく、様々なことに貝を利用していたのです。