イカ・タコは貝の仲間。
基本的に寿命は短い。
背骨がなく、柔らかい体を持つイカとタコはともに「軟体動物」、貝の仲間です。しかし、貝と違って固い貝殻は持っていません。
イカ・タコの先祖は、アワビのように岩に張り付いている貝でした。この傘のような貝殻が縦に伸び、細長い円錐形となると、内臓は貝殻の中に収まりました。殻の外にある頭部では目が発達し、平らだった足は、口の周りから伸びる複数の腕に変形しました。現代の生物でいえばオウムガイが持つ渦巻き状の殻が、トンガリ帽子状になっている感じです。
頭から直接足(腕)が生えている形態から、この仲間は、「頭足類」と名づけられました。固い殻を持つと防御力は高まるのですが、素早く動くことはできません。イカとタコの先祖は筋肉を発達させ、また、邪魔になる殻を退化させることにより、運動能力を向上させ、自由に海を動けるように進化をしたのです。
イカの胴体にある甲や軟甲は殻の名残で、コウイカ類の甲は海中で体を浮かせるのに役立っています。
タコは殻をなくしたことで、浮くことをやめ、海底で暮らすようになりました。殻がないために素早く這い回れ、狭い隙間へも自在に潜り込むことができるようになりました。
イカ・タコは貝の仲間ですが、大きな違いをいえば、不思議なことに川や池など淡水域に貝はいるのにイカ・タコは生息していません。
また、貝は500年も生きる寿命の長いものもいますが、イカ・タコは基本的に短命で、大人になり一回の繁殖期を経ると死んでしまいます。イカ・タコの世界では親と子が同時に生きることはないのです。
心臓は3つ、脳は9つ?
体の色も自在に変化。
イカ・タコで特徴的なのが心臓。イカ・タコにはなんと心臓が3つもあるのです。普通の心臓の他に左右のエラの根元に「エラ心臓」という血液を循環させる臓器があるのです。
イカ・タコの体はほとんど筋肉でできています。この筋肉を機敏に動かすのには大量の酸素を必要とするので心臓が3つできたといわれています。
血液中の酸素はヘモシアニンというタンパク質と結合して体全体に運ばれます。ヘモシアニンは無色ですが、酸素と結びつくと青色になるため、イカ・タコの血は青く見えることもあります。
脳もユニークです。タコは8本の腕それぞれが環境を探り、意思決定をしていることから、からだ全体を管理する脳と合わせて、合計9つの脳があるともいわれます。
また、イカ・タコの体表には色素胞という器官があり、瞬時に体の色を変えることができます。この能力を使い、タコやコウイカ類は周りの環境に合わせて岩や小石に擬態し身を守ります。そして体の模様を浮き立たせることで敵を威嚇したり、求愛のときに自分をアピールしたりもします。つまりイカ・タコは体色の変化で会話をしているのです。
精子のカプセルを
メスに渡してオスは昇天。
イカ・タコは寿命が短いものが多く、ほとんどの種類は1年。短い一生で1度だけの繁殖期を迎えます。オスは体色を変えながらメスに求愛し、メスがオスの求愛を受け入れると、つがいになり交接します。
交接の際、オスは精莢(せいきょう)と呼ばれる精子が入った細長いカプセルを交接腕を用いてメスに渡します。精莢から放出された精子はメスの体内に蓄えられ、産卵時に受精する仕組みです。精莢は破裂しやすいので、刺激を与えずにメスに渡せるよう交接腕の先端には吸盤がありません。
交接腕は1本ですが、種類により位置が異なります。イカの場合、スルメイカ、ホタルイカは右第4腕。コウイカ、ヤリイカ、ケンサキイカは左第4腕。ミミイカなどは左第1腕です。タコの場合はほとんど右第3腕が交接腕です。
交接が済むと、オスはその一生を終えますが、メスには、産卵の大仕事が待っています。産卵方法や卵の形・大きさなども種類によって異なります。
スルメイカは約20万個の卵が入った直径1メートルほどの大きなゼリー状の卵塊を沖合の海中に産みます。海の中層を漂う卵塊からは多くの稚イカが孵化していきます。
アオリイカは長さ9センチほど袋の中に1列に5個前後の卵が入った卵嚢を海藻に産みつけます。
タコは岩陰などに隠れて産卵します。マダコは1週間ほどかけて10万個以上もの卵を産み、卵についている糸を器用によりあわせ、房のようにして巣穴の天井に吊るします。
イカとタコはどこが違う?
①吸盤の形に注目
イカとタコの違いは足の数、タコが8本でイカ10本といわれますが、成長過程で8本になる種類のイカもいます。
むしろ違いは吸盤の形。タコはピタッと吸い付く切り株型。イカはワイングラス型で吸盤の内側には棘のあるリングがあります。
②イカは分身の術、タコは煙幕の術
イカ・タコは敵に襲われて逃げるときに黒い墨を吐きます。墨は体内の墨汁嚢に蓄えられていて、海水と一緒に漏斗から吐き出します。
イカの墨は粘り気があるので、海中で塊になります。稚イカは自分と同じ大きさの墨を吐き、敵がそちらに気を取られている隙に逃げます。忍術でいえば「分身の術」。成長したイカは相手に墨を吹きかけ、「目潰しの術」的な使い方をします。
タコの墨は量が少なく粘り気がないので、海中で広がります。こちらは相手の視界を遮りその隙に逃げる、いわば「煙幕の術」です。
③過保護なタコ、放任のイカ
タコのメスは産卵した場所を離れず、定期的に卵に水を吹きかけ酸素を送り、卵についたゴミを取り除くなどの世話をして、卵が孵化すると死にます。イカのメスは卵を産むと、世話をすることなく死んでしまいます。
八戸に水揚げされたイカの種別割合
青森県は日本一のイカ漁獲量を誇り、八戸は最大のイカ水揚げ地です。
さまざまな漁船が各地で漁獲したイカを八戸に水揚げします。大型・中型イカ釣り漁船は日本周辺のスルメイカに北太平洋のアカイカ。小型イカ釣り漁船、底曳き網漁船、まき網漁船は八戸前沖等のスルメイカ。
2020年、八戸漁港に水揚げされたイカはスルメイカ52%、アカイカ47%。
スルメイカは日本で最も多く漁獲されるイカで、イカ漁獲量の6~8割を占めます。次に多く漁獲されるのがアカイカで、主に惣菜などの加工用原料となります。そのほとんどが八戸漁港に水揚げされます。
大量のイカをさばくために、八戸には三つの魚市場があります。
第一魚市場には、まき網船と小型イカ釣り漁船で漁獲された生鮮スルメイカが水揚げされます。
第二魚市場には、主に底曳き網漁船により漁獲された生鮮スルメイカとヤリイカ。
第三魚市場には、中型イカ釣り漁船で漁獲された船凍スルメイカ、船凍アカイカが水揚げされます。
一部のイカ釣り漁船は、スルメイカの回遊に合わせて海域を広く移動しながら操業します。スルメイカはどんな回遊をするのでしょうか。
スルメイカは主に日本海で獲れる「秋生まれ群」と、主に太平洋で獲れる「冬生まれ群」に分けられます。
どちらの群も孵化後はエサの豊富な東北や北海道の海へ回遊、成長すると、やがて産卵場まで南下して産卵し、その一生を終えます。
回遊ルートは、「秋生まれ群」が日本海を北上し、日本海を南下するのに対し、「冬生まれ群」は、太平洋を黒潮とともに北上しますが、南下するときは日本海側を通ります。
八戸はなぜイカの町になったのでしょう。200海里時代前に、海外との操業の交渉を務めたこともある八戸漁業指導協会の熊谷拓治会長にお聞きしました。
「戦後、大勢の若者が復員してきましたが仕事がない。ただ、浜には老巧船があったので、道具を自作してイカを釣り始めたのです」
なかでも「浅利式」と呼ばれる釣具は、糸が絡みづらく、深さに関係なく一度にたくさん釣れるスグレモノでした。昭和30年代になると円筒形の大きなリールで糸を巻き上げる「クルマ巻き」が考案され、さらに漁獲の効率があがりました。
「ただ、たくさん釣れても、当時の八戸には加工場がほとんどありませんでしたから、売れ残ったイカは投げ捨てられ、海に浮いていました。
そこへ、頭のいい人が現れ、釣り上げたイカを整理して箱に入れ凍結するシステムを発明したのです。すると、イカを加工して商売しようと加工屋さんも増え、八戸漁港の処理能力はあがっていきました」
イカをたくさん積めるように船は大きくなりましたが、稼げば稼ぐほど税金もガッポリ取られます。
「それなら、新しい船を建造して減価償却するほうがいい、とみんなが5年ごとぐらいに新造船に切り替えるものだから、船はどんどん大型化し、八戸はイカの水揚量日本一となっていったのです」
世界のイカ漁場を
開拓した八戸の漁民。
八戸のイカ漁は日本周辺の海域にとどまりませんでした。
船が大型化して、遠くまで行けるようになると『外国でイカはどうなっているか、世界を見てみようじゃないか』ということで、大型イカ釣り漁船の船主8人が漁業視察に出かけました。
「最初に向かったのはカナダのニューファンドランドでした。でも、カナダの漁業者にイカの話をしても、話が通じない。イカの絵を描いて見せると『あー、大西洋のゴミか。見たかったら夜、また来い』と言われ、夜に小さなボートで沖に出たんです。で、懐中電灯で海面を照らすと、イカがうわーっと集まってきて、山のようになったといいます」
それからアメリカ、南米、NZと回りました。世界中どこにでもイカはいることがわかりました。でも、日本みたいに食べたり、獲ったりはしていない。日本周辺のイカの漁獲量が落ちていたこともあり、外国で操業することが決まりました。
「最初はNZで漁業許可を得てスルメイカ。それからアルゼンチン沖のイギリス領フォークランドに入ると、驚くほどの量のイカが獲れました。
日本から40日間かけて来て、イカを釣って、また40日間かけて帰るのでは時間がもったいない。『1万トンクラスの冷凍運搬船を呼べ』となって……。フォークランド紛争直後、80年代前半の話です」
誰も見向きもしなかったイカがお金になることを世界に示し、漁場を開拓したのは八戸の漁師といっても過言ではありません。やがてイカは世界中で消費されるようになりました。
1977(昭和52)年、米国、ソ連、カナダ、欧州諸国が200海里水域を設定します。操業を継続するには沿岸国との交渉が必要となりましたが、次第に外国漁船排除の傾向が強くなり、海外での操業がだんだん厳しくなっていきました。
海外漁場の喪失等により日本のイカ漁獲量は減少傾向が長く続いています。特に近年では、日本周辺海域でのスルメイカの大不漁が深刻な問題となっています。
深刻なスルメイカの不漁問題。
海で何が起きているのか?
不漁の理由は定かではありませんが、スルメイカの産卵場である東シナ海で続いた低水温がイカの孵化を妨げたのではないか等の「海の環境変化」が有力な説の一つです。
熊谷さんはこんな経験を語ってくれました。
「フォークランドで5、6年操業したときのこと。イカがさっぱりあがらなくなったんです。報告を受け、衛星電話すると、漁労長が『なんだか海がきれいなんだ』って。あの海域は牛乳を撒いたように海が白濁していたんですが、今は海の底まで見えるようだって。つまりプランクトンがいないということですね。だからイカもいないんじゃないか、と。
何が起きているのか情報を集める と、地球が暖かくなって南極の氷が溶け、冷たい真水が大量に海に流れ込んだせいで、周辺のプランクトンが死んでいるという報告があって。そのときですね、『温暖化』という言葉を初めて聞いたのは」
いったい海に何が起きているのでしょう。いつになったらスルメイカは戻ってくるのでしょうか。
イカはどのように漁獲されているのでしょうか。
八戸に水揚げされるイカは、小型イカ釣り船、中型イカ釣り船、沖合底曳き船という3種類の漁船による漁獲がほとんどを占めています。
同じイカを狙うのでも、3タイプの漁船は漁場、漁期、用途など、それぞれに特徴があります。詳しく見てみましょう。
小型イカ釣り漁船
漁場が近く、生イカを水揚げ。
八戸ではほとんどが昼漁。
30t未満の船で行うイカ釣りを「小型イカ釣り」と呼びます。
10t未満の小型船は地元で別の漁をしながら、八戸沖にスルメイカが来遊する 7~9月頃に日帰りのイカ釣り漁を行います。
一方、10t以上の船はイカの群れを追いながら操業します。
5月に能登半島周辺の海域に向かい、そこから北上して、イカの漁場形成に合わせた長期間の操業を行います。釣ったイカは、その日のうちに漁場の近くの港に水揚げします。乗組員は 2、3人。操業しては陸揚げして、船で寝るという生活が続きます。7~9月に八戸沖で獲れるときだけしか、家に帰らない船もあります。
イカ釣りは集魚灯による夜釣りが一般的ですが、八戸周辺では20年ほど前から昼釣り(昼イカ漁)が増加しています。昼釣りは集魚灯に使う燃油代を節約でき、速やかな消費地出荷も可能です。その一方で、イカの群れを魚群探知機で探し回っての漁獲を繰り返す漁となるので、移動にかかる燃油代や船員の労力負担が大きく、体力的には夜釣りの方が楽だという声もあるようです。
大型・中型イカ釣り漁船
東へ西へ、アカイカも漁獲。
獲ったイカは船内で急速冷凍。
八戸の中型イカ釣り漁船は、毎年5月に出港して北太平洋(日付変更線あたり)でアカイカを釣り、7月に帰港します。陸揚げして4~5日後には次の操業に向かいますが、次の漁場は日本海でスルメイカを狙うか、再び北太平洋でアカイカを狙うかの2つからの選択となります。
漁獲状況や気象状況を見ながら決め、やはり約2ヶ月操業して、9月中旬に帰港します。そして年明け1~2月は山陰沖でスルメイカか、三陸沖のアカイカを狙うというスケジュールが一般的です。
大型イカ釣り漁船も5月から長期間の出漁をし、北太平洋でアカイカを漁獲します。
漁獲したイカは船内の作業場まで流れる構造になっていて、サイズ選別等の作業を経て船内の冷凍庫で急速凍結、保管を行います。これらは「船凍イカ」と呼ばれます。
スルメイカには2つの冷凍方法があり、1つはイカを「冷凍パン」に並べブロック状で冷凍する「ブロック凍結」。もう1つは1尾ずつ冷凍する「1尾凍結」で、これは「バラ凍結」またはIQF(Individual Quick Frozen)とも呼ばれています。
沖合底曳き網漁船
水温上昇のせいで、深い水深に
群れるようになったイカを漁獲。
八戸の沖合底曳き網漁船(沖底)の船体は黄緑色に統一されています。7~8月は休漁期で、9月に再開すると狙うのがスルメイカです。
操業は日の出から日没まで。漁場まで2時間かかるとすると、日の出が3時半なら、1時半出港となります。乗組員は13~15名。
底曳き網にはオッタートロール、かけまわし、2艘曳きの3種類がありますが、八戸の底曳き網はかけまわし漁。イカの群れがいる水深は200m 前後。ここ数年、本来いる水深の水温が高いせいか、より深い水深帯にいることが多いようです。
沖底のスルメイカは16時入札販売が基本。沖にいる船が今日の漁獲量を陸に連絡し、市場に各船の漁獲量が掲示されます。仲買人はそれを見ながら購入量と価格を計算し、入札に挑みます。
船は18時までには帰港して陸揚げ。仲買人は入札した分をトラックに積み、送り先へと運んで行きます。
夕方に入札があるのは、イカの加工場が多い函館に送るために苫小牧行きの最終フェリーの時間に間に合わせたい仲買人の事情を考慮して始まったのだそうです。